ごあいさつ
東京にあこがれて、文学にあこがれて、文学をテーマに東京の街歩きをしてみたいと思ったのがきっかけで、いつしか夏目漱石にはまってしまいました。
2016年の漱石没後100年、2017年の漱石生誕150年。節目の年を過ぎようという今、次の節目の年にむかって、漱石を引き継いでゆきたいと、勝手に「漱石文学館」を開館しました。この文学館が、漱石を知り、語り合う場になれば嬉しいです。
2017年10月
勝手に漱石文学館
館長 北野豊
今日のつぶやき
1月12日、半藤一利さんが亡くなった。妻末利子さんについて、触れてある記事もあれば、触れていない記事もある。けれども、1993年に『漱石先生ぞな、もし』を出版した半藤さんについては、漱石との関係で、やはり何か書いておかなければならないだろう。
半藤さんは、1930年生まれだから、90歳だった。1930年生まれと聞いて、私がふと思い出したのは佐多(窪川)稲子の息子。『仮装人物』について書いている時、山田順子のところへ清書などで訪れていた稲子が、1930年に長男を出産したことに触れたからである。稲子の長男、つまり窪川鶴次郎の長男は窪川健造。2月10日生まれ。東京大学を出て、映画監督になった。半藤さんは5月21日生まれだから、学年としては1級下。やはり東京大学を出て、出版社に勤め、やがて文筆家になっていった。
半藤さんは戦時中、長岡に疎開していた。一方、妻の末利子さんは、漱石の長女筆子と松岡譲の四女。やはり長岡に疎開していた。長岡は父松岡譲の出身地である。当時は15歳と10歳だから、お互い知る由もなかっただろうが、やがて、長岡つながりの二人が結婚する。
東京大空襲で、逃げ惑う半藤少年は中川で漂流し、死にかけた。このような体験もあって、半藤さんは一貫して、戦争と、戦争につながる動きに反対し、警鐘を鳴らし続けてきた。漱石の孫の夫にあたる半藤一利さん。漱石の思いをもっともよく受け継いでいるように、私には思われる。
(『館長のつぶやき』より)
新着
連載 漱石こぼれ話』に『25.田端点描』を追加しました。
連載 漱石気分』が完結しました。
21世紀の木曜会』へのご参加、お待ちしてます。
長年の漱石研究の成果をもとに、何ものにも囚われない在野の視点から、漱石を描きます。今までの常識がひっくり返るような事実も浮かび上がってきます。順次、新しい章を追加、掲載していきます。お楽しみに。
漱石に関わる単発のテーマを、思いつくまま、気のむくままに、順次、掲載していきます。漱石気分に書き入れることができなかった「こぼれ話」です。お楽しみに。
漱石に関係あること、ないこと。館長が勝手気ままにつぶやきます。
漱石のもとを訪れる人が増え、漱石の負担を心配した弟子たちが、木曜日に限って漱石のもとに集まるという申し合わせをするようになりました。こうして生まれた木曜会には漱石も顔を出し、集まった人たちも忌憚のない意見を出し合いました。
「21世紀の木曜会」。連載に対する意見、感想をはじめ、漱石に関すること何でも、お互いに語り合い、意見交換、情報交換していきましょう。発言、お待ちしております。
北野豊著『漱石と歩く東京』『漱石と日本国憲法〜漱石からのメッセージ』の紹介と購入方法が書かれています。
漱石の作品を読みたい方、どうぞご利用ください。
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私のふるさと金沢が生んだ三文豪、泉鏡花・徳田秋聲・室生犀星に関するコーナーです。鏡花については漱石もかなり注目をしており、漱石は鏡花・秋聲に朝日新聞連載の便宜を図っています。犀星は漱石最後の、そしてもっとも才能ある門下生と言われる芥川龍之介と親しくなり、龍之介は漱石が果たせなかった金沢訪問を実現しています。そのような三文豪について、順次、私が書いた文章を掲載していきます。
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