ごあいさつ
東京にあこがれて、文学にあこがれて、文学をテーマに東京の街歩きをしてみたいと思ったのがきっかけで、いつしか夏目漱石にはまってしまいました。
2016年の漱石没後100年、2017年の漱石生誕150年。節目の年を過ぎようという今、次の節目の年にむかって、漱石を引き継いでゆきたいと、勝手に「漱石文学館」を開館しました。この文学館が、漱石を知り、語り合う場になれば嬉しいです。
2017年10月
勝手に漱石文学館
館長 北野豊
今日のつぶやき
【館長のつぶやき】

北澤みずきさんが提供してくれた関森勝夫著『文人たちの句境』(中公新書、1991年)から今日の一句は徳田秋聲。芥川龍之介の七周忌に詠んだ句です。

――涼しさや石碑をうつて木の雫――
この句に文学者で俳人の関森勝夫は、つぎのように解説しています。――この「木の雫」は夕立の過ぎた後の雨滴と思われる。場所も料亭の庭であろう。開け放たれた夏座敷から、夕立一過の涼しい庭の景を眺めている。木陰にある石碑に、頭上の木から雫が落ちる。その雨雫の輝きにひときわ涼気を感じたのだ。心地良い音色が聞こえてくるようである。龍之介の死は暑い日であった。人々に暑さが印象されているだけに、「涼しさや」というよみぶりに、今日はありがたいことに涼しいことだ、といった作者のつぶやきが聞こえてくる。追善会が始まらない前の、くつろぎの気分も受け止められる。

この料亭というのは、天然自笑軒でしょう。龍之介とは切っても切れない料亭です。犀星や鏡花に比べ、秋聲は龍之介との関りが薄いように私には感じられるのですが、この天然自笑軒の庭の佇まいは、何となく秋聲に似合っているように感じられます。
犀星は俳句から始まり、鏡花の句碑は逗子へ行けばいくつかあります。けれども秋聲と言うと俳句のイメージがないため、この一句は私にとって、かえって新鮮です。
(『館長のつぶやき』より)
新着
連載 漱石こぼれ話』に『25.田端点描』を追加しました。
連載 漱石気分』が完結しました。
21世紀の木曜会』へのご参加、お待ちしてます。
長年の漱石研究の成果をもとに、何ものにも囚われない在野の視点から、漱石を描きます。今までの常識がひっくり返るような事実も浮かび上がってきます。順次、新しい章を追加、掲載していきます。お楽しみに。
漱石に関わる単発のテーマを、思いつくまま、気のむくままに、順次、掲載していきます。漱石気分に書き入れることができなかった「こぼれ話」です。お楽しみに。
漱石に関係あること、ないこと。館長が勝手気ままにつぶやきます。
漱石のもとを訪れる人が増え、漱石の負担を心配した弟子たちが、木曜日に限って漱石のもとに集まるという申し合わせをするようになりました。こうして生まれた木曜会には漱石も顔を出し、集まった人たちも忌憚のない意見を出し合いました。
「21世紀の木曜会」。連載に対する意見、感想をはじめ、漱石に関すること何でも、お互いに語り合い、意見交換、情報交換していきましょう。発言、お待ちしております。
北野豊著『漱石と歩く東京』『漱石と日本国憲法〜漱石からのメッセージ』の紹介と購入方法が書かれています。
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私のふるさと金沢が生んだ三文豪、泉鏡花・徳田秋聲・室生犀星に関するコーナーです。鏡花については漱石もかなり注目をしており、漱石は鏡花・秋聲に朝日新聞連載の便宜を図っています。犀星は漱石最後の、そしてもっとも才能ある門下生と言われる芥川龍之介と親しくなり、龍之介は漱石が果たせなかった金沢訪問を実現しています。そのような三文豪について、順次、私が書いた文章を掲載していきます。
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