ごあいさつ
東京にあこがれて、文学にあこがれて、文学をテーマに東京の街歩きをしてみたいと思ったのがきっかけで、いつしか夏目漱石にはまってしまいました。
2016年の漱石没後100年、2017年の漱石生誕150年。節目の年を過ぎようという今、次の節目の年にむかって、漱石を引き継いでゆきたいと、勝手に「漱石文学館」を開館しました。この文学館が、漱石を知り、語り合う場になれば嬉しいです。
2017年10月
勝手に漱石文学館
館長 北野豊
今日のつぶやき
【連載】源作日記にみるスペイン風邪⦅5⦆

1919年春から夏へ
堀ノ内の幸三郎の家では、4月2日、亮吉が下痢。5日には亮吉と富美が40℃の熱を出し、柴医師が往診。25日には下砂の丸尾源吉も40℃発熱。
5月。新茶の季節であるが、源作は1日、腸の具合が悪く、下腹へこんにゃくを煮て当て、2日には「藤枝子供」(おそらく友吉の子ども)がはしか。3日、用宗の原崎本家の三郎(商業学校二年生)が危篤で、7日に逝去。源吉も亮吉も、みつもキケンな状態で、8日に源吉死去。22日、幸三郎次女や江(や江子)が学校から帰宅後発熱40℃。翌日、37.5℃くらいまで下がったが、午後4時死去。9歳。その翌日には亮吉も2歳で昇天した。骨治めも終った29日、幸三郎の家では、富美と郁平が別々に発熱。はしか症状。この間、9日には源作が親しく交わり、信頼もしていた星菊太師範学校校長が急逝している。
星菊太は長野師範学校校長を務めていた1915年9月、教育改革を求める人たちを中心とした校長排斥運動によって、内堀維文と入れ替わる形で静岡師範学校校長として赴任して来た。写真で見ると、がっちりした頼もしい体格の持ち主で、どのような経緯で交流が始まったかわからないが、源作の良き協力者として盲唖学校の発展に尽力している。
6月に入ると、2日に静岡の茶商として活躍した水上房吉が病気のところ急逝。3日には藤枝に住んでいる源作の弟友吉の三女たか子が急に40℃の発熱。4日に柴医師が往診。5日には熱が下がっている。11日には斎藤村の水野いね子次男彦次郎が死去。13日、興津にいる池端みつ子がついに息を引き取った。
スペイン風邪の大流行を過ぎた時期に、あまりにも多い死者の数である。おそらくスペイン風邪が多くの人たちの身体に打撃を与え、生命の火を風前の灯にまで追い詰めていたのではないだろうか。おそらくこのような現象が日本各地、世界各地で起きていたのではないかと推察される。

1919年夏から秋へ
この後、6月19日に辻氏病気欠勤、源作も腹痛帰宅。24日、「下女病気のところ全快」。7月15日、「トキ子腹の具合悪く、昨日より寝たり起きたりして居る」、21日には源作が腹痛などの記述がみられるが、頻度として日常の範囲である。ただ、死亡に関する記述は、7月31日、根岸速次末っ子男児(3歳)、8月6日、北嶋録三郎の末っ子男児(4歳)、9月4日、磯部菊松次男(6月生まれ)、8日に本目総徳急死、9日に岩崎音吉次男変死、20日に石川重吉病死、その後、大石岸八も死去。10月には教会員の老女岩下、27日には星菊太の長男一郎が5月の父に続いて死去。全般に9月の死亡が多いように思われる。また、源作が幼子の死に殊更同情を寄せていることから記述が多くなる傾向はあるだろうが、7月から9月にかけて、乳幼児の死亡が通常よりはるかに多い印象を受ける。この間、9月28日、郁平が風邪と顔へ腫物ができ、発熱38.5℃、10月1日には快方している。
(『館長のつぶやき』より)
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北野豊著『漱石と歩く東京』『漱石と日本国憲法〜漱石からのメッセージ』の紹介と購入方法が書かれています。
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私のふるさと金沢が生んだ三文豪、泉鏡花・徳田秋聲・室生犀星に関するコーナーです。鏡花については漱石もかなり注目をしており、漱石は鏡花・秋聲に朝日新聞連載の便宜を図っています。犀星は漱石最後の、そしてもっとも才能ある門下生と言われる芥川龍之介と親しくなり、龍之介は漱石が果たせなかった金沢訪問を実現しています。そのような三文豪について、順次、私が書いた文章を掲載していきます。
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