どのように美しいか描かれていないだけに、想像が一人歩きします。『こころ』の先生の奥さんも、《美くしい奥さんであった》としか記されていません。
漱石の作品に登場する美女は、おおむね漱石が美しいと感じる好みの女性であったと考えられます。どうやら色白で、二重瞼の女性に美を感じたようです。
漱石が身を引いて譲ったと言われる、美学者大塚保治の妻楠緒子は色白でした。日陰町で出会った人力車の上の楠緒子を、《私の眼にはその白い顔が大変美しく映った》と記しています(『硝子戸の中』)。
『趣味の遺伝』に登場する寂光院の女も色白で、《眼の大きな頬の緊った領の長い女である》。そして、余がこの年になるまで見た夥しい女の中で、《この時程美しいと思った事はない》女でした。
『彼岸過迄』の敬太郎が神田小川町で探偵中、尾行している男の連れは、容貌は始めから大したものではなかったが、《その代り色が白くて、晴々しい心持のする眸を有っていた》。それとともに、唇が薄い割に口が大きく、《美くしい歯を露き出しに表わして、潤沢の饒かな黒い大きな眼を、上下の睫の触れ合う程、共に寄せた時は、この女から夢にも予期しなかった印象が新たに彼の頭に刻まれた》と描かれています。『三四郎』の野々宮よし子も、《大きな潤いのある眼である》と、漱石は目にも強い関心を示しています。
漱石の一番上の姉は皮膚こそ浅黒かったが、人並より大きい二重瞼の眼をもっていました(『硝子戸の中』)。神楽坂の芸者屋東屋にいた咲松(御作)も二重瞼(『硝子戸の中』)、『それから』の三千代も、《美くしい線を奇麗に重ねた鮮かな二重瞼を持っている》。代助は、《三千代の顔を頭の中に浮べようとすると、顔の輪郭が、まだ出来上らないうちに、この黒い、湿んだ様に暈された眼が、ぽっと出て来る》。二重瞼はまだまだ続き、『虞美人草』の藤尾は、《肉余る瞼を二重に、愛嬌の露を大きな眸の上に滴している》と、記されています。
『三四郎』に出てくる「池の女」こと里見美禰子の顔で尤も三四郎を驚かしたのは、《眼付と歯並である》。野々宮よし子を見舞いに来た美禰子はつぎのように描かれています。《二重瞼の切長の落付いた恰好である。目立って黒い眉毛の下に活きている。同時に奇麗な歯があらわれた》。そして、物語も終わりに近づいた頃、《その時白い歯が又光った》。とにかく、よほど気に入ったのか、描写はきわめて細かく、つぎのようにも表現されています。
と描かれています。れんの写真が残っていれば、美人かどうかわかるのですが、『道草』に描かれた御縫をそのまま当てはめることができるなら、れんは頭が良く、色白で、二重瞼かどうかわからないが、眼の表情も漱石好みであったと想像されます。鏡子にしてみれば、どうしてその人と結婚しなかったのか、《「どうせ私は始めっから御気に入らないんだから......」》と、言いたくもなるでしょう。そんな漱石が《歯並が悪くて歯がきたない、それを当人は強いて隠そうともせず平気でいるところが、大変気に入った》結果、鏡子と結婚したのだから、人生の皮肉と言えるかもしれません。しかし、新婚時代に熊本で撮影したという鏡子の写真を見る限り、けっこう漱石好みにも見えます。
1891年7月17日、井上眼科で見かけた「銀杏返しにたけながをかけた」少女は、もちろんれんではありません。すでに彼女は結婚していたし、所在もわかっているから、会おうとすれば会うことはできたわけです。人生の通りすがりのひとコマと言って良いでしょう。
『それから』の三千代は、漱石が関わった二人の女性、れんと楠緒子の影を背負っている。私はそんなふうに思います。そして、因縁めいたことに、『それから』をはさんで前後の年に、れんと楠緒子が相次いで亡くなっているのです。