【金沢ブログ】 北陸新幹線~敦賀延伸に寄せて
【詩】東京駅
ふるさと行きの 新幹線が
東京駅から出る 不思議さに
一列車
また 一列車 見送り
ふるさとは
しだいに遠ざかって行く
いつの日か
帰ったふるさとに
幼き日の光景は
残っているのだろうか
上越新幹線が高崎で分れて、長野新幹線として東京・長野間の営業運転を開始したのが1997年。それから18年の時を経て、北陸新幹線として金沢まで営業運転を開始した。停車駅が少ない「かがやき」は2時間30分かからないで東京・金沢間を結んでいる。犀星が生きていたら、金沢に居を構えて、日帰りで東京を往復する生活をしていたかもしれない。「ふるさとは遠きにありて……」どころではない。その北陸新幹線が今年(2024年)3月16日、敦賀まで延伸され、営業運転を開始した。
これは喜ぶべきことだろうが、何か私は釈然としない。順序が逆ではないか。関西圏や中京圏からは、かえって不便になってしまう。
もともと北陸本線は、東海道本線から分かれて、短距離で日本海へ出るため、敦賀まで建設されたのが始まりで、1882年に長浜・敦賀間が開通した(当初、一部徒歩連絡)。東海道本線が全線開通したのが1889年であるから、それより早い。東海道本線全線開通に合わせて米原・長浜間が開通し、北陸本線の起点が米原になった。その後、北陸本線は敦賀から延伸され、1896年に福井まで、1898年に金沢まで、1899年に富山まで開通、直江津まで全線開通は1913年。信越本線高崎・直江津間が開通した1893年から実に20年経過していた。金沢・東京間を鉄道利用する場合、米原・東海道本線経由は1898年から、それに対して直江津・信越本線経由は1913年からになる。
それが、北陸新幹線は東京から信越本線ルートで伸びて来て、敦賀まで来たものの、その先の見通しが立たない状況で、いかに「東京一極集中」などと言っても、きわめて不自然。本来なら、米原から敦賀・福井・金沢・富山と開通した北陸新幹線が、長野・上越妙高と開通した長野新幹線が、上越妙高・富山間の開通によって全線開通となるはずである。
本来なら米原まで開通していたはずの北陸新幹線が、このような不自然な結果になった原因は、どうやら敦賀から新大阪にかけて新線建設を考えてしまったところにあるようだ。しかし、新線建設はとりわけ京都市街から新大阪にかけて大深度地下を通ることになり、地下水や地上に与える影響など、反対の声も多く、建設のメドは立たない。
1974年に全線開通した湖西線は、踏切がなく、全線立体交差の高規格鉄道で、実験では在来線最高時速180kmを記録している。つまり当初から高速運転を前提に建設されたもので、京都・敦賀間において、米原経由より距離が短く、新大阪・敦賀間を東海道本線と湖西線を使って狭軌で運行し、そのまま敦賀から北陸新幹線を標準軌道で走行する、フリーゲージ方式も検討されていた。
北陸新幹線の延伸先として、もっとも現実的と思われるのは米原である。東海道新幹線を使って、関西圏ばかりか、中京圏からの利用に便利である。湖西線経由に比べ、強風で運転中止になる可能性も少ない。建設距離も敦賀・米原間45kmほどである。敦賀のループ線を回避するための新線建設は必要だが、全線新線建設しなくても、現在線を標準軌道に変えて、深坂・新深坂トンネルなども拡幅によって対応し、新快速が乗り入れる米原・長浜間を三線化する方法も考えて良いだろうし、現在線の上に高架線を建設する案も考えられる。米原はJR西日本の駅だから、車両の留置線などの確保も容易だろう。新大阪から北陸新幹線直通運転を実現する場合、問題は新大阪・米原間をJR東海が保有する東海道新幹線を走行することである。けれども、首都圏など私鉄・JR入り混じって直通運転しているのだから、問題解決できないことはない。
現在では、さまざまな電流・電圧に対応できる電車が開発されているようで、JR在来線を標準軌道に変えれば、新幹線・在来線の直通運転が可能になり、北陸新幹線や長崎新幹線の問題も解消される。かつて何回か標準軌道への改軌が検討されたが、実現しなかった。1959年に京成電鉄が全線標準軌道に改軌したことを思えば、不可能ではない。敦賀・新大阪間に新幹線を新設するより、湖西線と東海道本線京阪間の一部路線の改軌、あるいは北陸本線の改軌をおこなう方が、はるかに早期に、はるかに少ない費用で、北陸新幹線の新大阪乗り入れが実現できるように思うのだが。
関西とつながらない北陸新幹線。結局は福井・石川・富山三県のローカル新幹線の色彩が強くなってしまう。三県の在来線が、それぞれに分断され、金沢・福井間36分ほど、金沢・富山間23分ほどで結ばれる北陸新幹線。三県の県庁所在都市の真ん中に位置する金沢が、福井へ行くのも、富山に行くのも便利で、中心都市としての性格がますます高まる。三県の人口は1970年の276万人から2020年には293万人と17万人増えている。けれどもそのうち13万人は石川県の増加で、富山県の人口を抜いてしまった。もともと、石川県庁(旧)は北陸三県合併を見据えた規模でつくられたと言われる。
そのような経過の中で、いよいよ敦賀まで延伸された北陸新幹線。関西圏とも中京圏ともつながらない北陸新幹線。敦賀延伸が「金沢ひとり勝ち」を生み出すのではないか。これが杞憂になるのか、ならないのか。
私の父は枕木をつくっていた。私が高校生の時、作品集につけた名前は「レール」である。この歳になっても、鉄道の話となると、どうも一人で盛り上がってしまうようだ。