21世紀の木曜会
発言の追加
テキストエリアに発言を入力してから、追加ボタンを押してください。
ユーザーでログインしてから発言することにより、発言にユーザー名が付き、また発言の編集や削除もできるようになります。
発言
ご無沙汰しております。ギター音吉です。
時々「勝手に漱石文学館」を拝見させていただいております。
漱石が没した特別な日に書き込ませていただきます。
今秋関西旅行の折に京都の御池大橋畔の「漱石句碑」を見て来ました。
大正4年の春「道草」連載前に京都へ漱石が滞在の折に詠んだ俳句が彫られていて、句碑に並んで銘板があって興味深かったので旅行後にあれこれ勉強し、整理したものを近々私のブログへ書き込もうと現在準備中です。
句碑は漱石の投宿場所の近くに立てられたそうで、その辺の事情については、以前北野さんが教えてくれた「東京紅団」の漱石の記事も参照しました。そこに大正2年の地図が引用されていて、京都ホテル(現在の京都ホテルオークラ)が当時既にあったことが分かります。
漱石の滞在した旅館は「北大嘉」といい、(きたのたいが)が正解のようですが、江藤淳の「漱石とその時代」第5部では(きたのだいか)とルビがふられています。(206頁)
とか色々勉強になりました。
館長のつぶやきに、三四郎に関連して、七つの旧制高等学校と書いたが、名古屋の方から怒られそうである。三四郎が東京帝国大学に入学したのは、1908年であり、この時、名古屋に第八高等学校が開校した。当然、卒業生を出していないので、七つと記した。泉鏡花や徳田秋聲のふるさと金沢には、第四高等学校があり、県内、北陸だけでなく、中部地方、あるいはその他からも受験生が集まったのであるから、それは狭き門であった。そう考えてみると、三四郎って、ずいぶん優秀だったんだな。
ギター音吉さんのブログは、「北野豊の本」⇒「漱石と歩く東京」と進んでもらえれば、読むことができます。2016年に横浜にある近代文学館で開かれた「漱石展」の様子が記されています。『門』の頃は大曲、『彼岸過迄』になると江戸川橋まで電車が開通し、『明暗』では早稲田へむけて電車の延伸工事がおこなわれている様子が描かれています。「漱石展」の展示では『門』の時に江戸川橋まで電車が来ていたようになっていたかもしれませんが、それぞれの見解を尊重しています。もともと小説は虚構の世界であり、現実に当てはめる時、いろいろな見解があるのも面白いことと、私は考えています。
木曜会への参加者がなかなか訪れないところ、ギター音吉さんに参加していただき、ほんとうにありがとうございました。「ここは違うんじゃない?」とか、「そうだったのか」とか、またいろいろ意見や感想をお寄せください。多くの方がたの参加をお待ちしています。
はじめまして。「ギター音吉」です。検索エンジンで偶然こちらを知りました。また私のブログ紹介もしていただき大変光栄に思います。現在「明暗」について準備中で、近々ブログへアップしたいと思っているところです。
こちらへは時々訪問したいと思っています。どうぞよろしくお願いします。
ぜひ、木曜会にもご参加を。お待ちいたしております。館長
54人目の来館者様、応援の言葉をありがとうございました。うれしいです。とても励まされます。漱石もこうした励ましの言葉を学生や弟子たちにかけていたのだと思います。
 54人目の来館者です。
 「勝手に漱石文学館」の開館、おめでとうございます。
 館長さんの敏腕運営で、千客万来間違いなし。
 息の長いご活躍を、応援しております。