館長のつぶやき
つぶやき
今日は石川啄木の誕生日です。1886年2月20日、啄木は生まれました。1908年に3度目の上京を果たした啄木は森田草平らと出会い、翌年、朝日新聞社に入社。1910年に、長与胃腸病院に社用を兼ねて、入院中の漱石のもとを訪れました。1912年、啄木は草平を介して、漱石の妻鏡子から借金。結局、啄木は17円借りたまま、4月13日、借金の返済をすることのできないところへ旅立ってしまいました。葬儀には漱石も参列しました。近日中に、漱石こぼれ話に、漱石と啄木を掲載します。お楽しみに。
漱石気分や、漱石こぼれ話をパソコンでご覧になられる方がた。PDF版を利用していただくと、読みやすいと思います。
今日2月10日は平塚雷鳥の誕生日です。漱石より19歳ほど年下です。漱石がどのくらい雷鳥に会ったかわかりませんが、三四郎に出てくる美禰子は確かに雷鳥に似ています。漱石の門弟森田草平と恋に落ち、雪の逃避行をおこなった雷鳥。漱石は草平のために再出発の機会を与えます。雷鳥は近代日本の女性史に足跡を残しながら、日本の高度経済成長も見届け、85歳の生涯を閉じました。
漱石の胃病は深刻な顔をして、悩んでいた結果ではなく、食べ過ぎによるものであると思っています。それを裏付けるかのようなエピソードが日めくりに載っていました。漱石47歳の今日、2月8日、漱石は家族の目を盗んで、後の内田百間から贈られた吉備団子を食べたと言うのです。漱石は甘いものが大好きで、作品の中にも登場します。結局、漱石は吉備団子の一件から2年後、過食による胃病によって生涯を閉じることになります。
北陸地方は大雪になっています。泉鏡花は雪の中、福井県の峠道を越えています。まだ北陸線は開通していませんでした。雪の中でも、この文学館には来館できます。多くの方にご来館いただきありがとうございます。近日中に、漱石気分に、漱石と電車を掲載します。鉄道ファンとしては、書いていても楽しいものです。
一月は行ってしまう。二月は逃げる。三月は去る。などと言われますが、あっという間に一月が終わり、二月になってしまいました。当館も開館三カ月。おかげで1500人を超える皆様に来館いただきました。ありがとうございます。ということで、今日は漱石の話題なしで、つぶやきを終わります。
全国的な寒波。東京でも雪が降ったり。今から120年以上前の1月29日も東京は大雪だったという。漱石は外神田の青柳亭で「英国詩人の天地山川に対する概念」と題して講演した。漱石はこの講演をどうしても子規に聴いてもらいたかった。しかし子規は来なかった。漱石は体調でも悪かったのだろうと考えたが、じつは、一旦家を出たものの、会費の10銭を忘れ、大雪の中、家に戻り、再び出かけることはなかった。10銭がなかったのである。子規は貧窮していた。雪の東京から、漱石に関する話題を拾ってみた。日めくりを参照した。あっと言う間に1月も終わってしまう。
「漱石とぶんきょう」が2月5日〜11日、文京シビックセンター1階にあるアートサロンで行われます。10時〜18時。最終日は17時まで。足を運べる方はぜひ。なお、私はその近くで自転車を借りて、東京の街をさっそうと?走りました。漱石ゆかりの東京は坂が多く、自転車はけっこうきついですが、ブラタモリのつもりで。
東京都心も雪に覆われ、漱石が雪をどのように描いているか探してみたけれど、漱石はあまり雪を描いていません。『門』の16に正月に雪が降ったことが、ほんのわずか、書かれています。雪があまり降らない東京だから、仕方ないのかもしれませんが。雪の東京のニュースを観ながら、ちょっとつぶやいてみました。
今日は阪神淡路大震災から23年目。今から111年前、漱石は長い手紙を野上八重、野上豊一郎の妻に出した。後の作家、野上弥生子に出した。弥生子は大分の大企業、フンドーキン醤油の娘であった。教職よりも作家の道を選んだ漱石だが、終生、教師であったように思われる。
大学入試センター試験が終わりました。地理では、ムーミンが出題され、マスメディアでも話題になっていました。ひょっとしてこれから、漱石のイギリス留学へのコースも出題されるのかしら、などと思ってしまいます。「漱石気分」に「漱石と旅」を掲載する予定です。お楽しみに。
「漱石気分」を拝見するや、「kとは誰か」など惹きつけられる内容が満載で、つい食い入って読んでしまいました。という感想をいただきました。嬉しい感想です。
今日は門弟寺田寅彦再婚の日。漱石も祝儀を贈ったようです。最初の妻
夏子は15歳で結婚、娘貞子を残し、20歳で死去。肺結核。それから三年、寅彦が再婚。少しは心の傷も癒え、漱石もホッとしたことでしょう。漱石の子弟を思う気持ちが伝わってきます。寅彦の二人目の妻寛子とは13年添い、4児に恵まれたが、31歳で、これまた肺結核で死去。その後、寅彦は三人目の妻紳と結婚。先妻二人の残した五人の子どもを育てあげ、70歳過ぎまで生きた。研究者として成功した寅彦も、妻には恵まれなかったと言えるかもしれないが、三人の妻はそれぞれに寅彦を支えたと言えるだろう。
「漱石と鏡花」を公開しました。金沢生まれの鏡花ですが、母親は東京生まれであり、鏡花もどことなく江戸っ子的な雰囲気があります。二人はけっこう意気投合するところがあったのではないでしょうか。
近日中に「漱石と鏡花」を公開する予定です。知られざる漱石と鏡花の関係に迫ります。(どこかで聞いたことのあるような言葉)。お楽しみに。
気がつけば、漱石の誕生日を過ぎていました。命日は有名な割に、誕生日は影が薄い感じです。そんなわけで、今日はすでに七草。正月気分とおさらばしなければなりません。正月と言うと、『吾輩は猫である』は12月に始まり、2章目で新年を迎えます。年賀状が届いています。芸者が羽根をついています。じつにのどかな正月風景ですが、この時、日露戦争の真っ最中だったんですね。確かに文章を読んで、戦時であることはわかるのですが、そんなピリピリした雰囲気は、まったく感じられません。やはり、猫が書いたのかな。
さて、いよいよ迫ってきました。1000人目の来館者になるのは、いったい誰でしょうか。ふつう、くす球が割られたり、花束などが贈呈されるのですが、何もなくてすみません。気持ちだけ受け取ってください。
漱石気分に、漱石の『こころ』がわからない、を掲載しました。その中に、乃木大将が出てきます。今の若者には乃木大将と言ってもピンとこないかもしれませんが、乃木坂46なら、知っているでしょう。乃木坂に続く坂シリーズ、欅坂46。乃木坂から数100メートルのところにあるのが欅坂です。私は、たかがアイドルと思っていたのですが、欅坂46の歌、けっこう辛口のものがありますね。人が溢れた交差点を・・・で始まる、サイレントマジョリティー。「どこかの国の大統領が 言っていた(曲解して) 声を上げない者たちは 賛成していると・・・」。まさにこれは『こころ』を通じて漱石が言いたかったことではないか。そして、「この世界は群れていても始まらない」。漱石が学習院で若者たちにむかって投げかけたメッセージ。さて、欅坂46の歌う、サイレントマジョリティーを、漱石が聴いたなら、どのような感想を書くであろうか。アイドルグループから漱石を考える。やはり漱石は現代を生きているように思われるのです。
『君の名は』が地上波で放映された。
君の名は、と言うと、聖地巡礼が思い浮かぶが、元祖君の名は、の聖地は数寄屋橋である。君の名はに惹かれて、数寄屋橋を訪れた人も多いであろう。そんなことが起きようとも思わない漱石も、幾度となく数寄屋橋を渡ったことであろう。現代の君の名は、の聖地はいくつもある。あり得ないようなストーリーの割に、映し出される風景はじつにリアルであり、そのギャップがなんとも言えない。不思議な魅力を醸し出している。東京の場面では、新宿から四ツ谷にかけて多く登場する。ちょっぴり漱石と関連づけられそうだ。四ツ谷と言うと、漱石の母の出身地である。最後の場面の階段のある坂は、須賀神社のすぐそばと言われている。四ツ谷と言うから、谷が多く、当然、坂も多くなる。漱石も四ツ谷を、そして坂を、作品の中にいくつも登場させている。詳しくは『漱石と歩く東京』に譲りたい。
当たり前のことですが、当館は
年中無休。お正月にもかかわらず来館者があり、嬉しいことです。この三ヶ日、当地は穏やかな日々でしたが、風雪の地域もありました。子どもの頃、日本海側に住んでいた私には、晴れている地域があることなど信じられませんでした。まあ、穏やかに三ヶ日すごした私ですが、漱石も、「一人居や思う事なき三ヶ日」の句を残しています。漱石にしては珍しい心情のように思えます。
あけましておめでとうございます。漱石節目の二年間を過ぎ、新しい出発の年を迎えました。今年もよろしくお願いいたします。
今日は大晦日。年越しになると、去年今年貫く棒の如きもの、という虚子の句を思い出す。何とも力強い句である。虚子は漱石にも大きな影響を与えた。俳句の面はもちろんだが、虚子がいなければ、漱石が猫を書くこともなく、したがって文豪夏目漱石もなかっただろう。漱石は50を待たずに亡くなったが、虚子は85まで生きた。亡くなった二日後に皇太子殿下と正田美智子さんの結婚式が行われ、ご成婚のパレードはテレビ中継され、私もワクワクしながら観ていた。皇太子殿下も天皇に即位され、30年になろうとしている。漱石が生きた明治はもちろんであるが、なんだか、昭和も急速に遠くなっていく感じがする。
今年も後わずかになりました。勝手に漱石文学館も開館以来、2ヶ月足らずで、延べ800人余りの来館者を迎えることができました。メジャーなところと比べる、まさに月とスッポンですが、スッポンのごとく、元気いっぱい、食いついたら離さない意気込みで、運営していきたいと思いますので、末永くご愛顧のほどよろしくお願いいたします。
日めくりによると、今日12月28日は、漱石と鏡子がお見合いをした日。鏡子はずいぶん苦労しただろうけれど、鏡子でなければ漱石の妻は務まらなかっただろう。漱石も鏡子のことを思いやり、浮気の噂も伝わってこない。作家の中には、けっこうこの手の話が多いのだが。後の鏡子は貫禄も感じられるが、見合い当時の写真を見ると、なかなか漱石好みである。
クリスマスも過ぎました。猛吹雪の地域があります。そんな中で、漱石は雪の情景を書いただろうか。どうもあまり印象にないのですが。
クリスマスイブ。車内を電飾した電車が走った。日頃、見慣れた車内も一味違う。電飾が当たり前の時代になって
さえ、なんとなく興奮をおぼえるのだ
から、博覧会で電飾を見た漱石は、さ
ぞ興奮おぼえたことであろう。私たち
は今、それを虞美人草から知ることが
できる。東京市内に電灯が普及し始める頃のことである。
京都の水川隆夫先生と言えば、漱石研究の第一人者である。私も漱石について書くにあたって、先生の著書を随分参考にさせていただいた。水川先生は来年一月、『漱石と明治』という本を
文理閣から出版される。今までに発表された小論を、明治の前中後期に時代区分してまとめられたもので、今という時代への警鐘も込められている。今年も後わずか。漱石は道草などでも年の瀬を描いている。百年経過した年の瀬も、ある面、道草の時代と何も変わらない。
前段のつぶやきは、12/24のものであった。一日間違えてしまった。今日は23日だ。年の瀬も近くなると、こんな間違えも起きるのか。いや、これは年のせいで起きたことなもかもしれない。
1905年の今日。漱石は猫のカレンダーを受け取ったという。漱石は筆まめな人で、礼状はもちろん、気遣いの手紙や葉書をせっせと出している。弟子であろうと、読者であろうと、子どもであろうと、分け隔てがない。私はその姿から、ドイツの作家ヘルマンヘッセを思い出す。そして、ヘッセの作品の翻訳家としても有名な高橋健二先生。来年は犬である。犬があって、猫がないのは、深い?訳があるようだ。
今日は安倍能成と藤村恭子の結婚記念日。1912年、二人は結婚し、漱石も参列した。恭子の兄は、あの華厳の滝から投身自殺した藤村操。安倍は操の友人であった。漱石は精神病だった?で書いたように、漱石はこの自殺に少なからず責任を感じており、思いは格別であったのではないか。人間関係を大切にする漱石の生き方が、今日でも漱石の作品が読まれる一因であるかもしれない。
1905年の今日、漱石は上野の伊予紋で行われた会合に出席したそうです。すでに、はた目には成功者となっていた漱石も、プライベートではいろいろな心配事を抱え、束の間の安堵の中、伊予紋での会合に出席したようです。大きなストレスを抱え、それを発散するために、食べる。漱石の胃潰瘍の原因を、ストレスとみるか、食べすぎとみるか。何かそんなことを考えさせる上野の料亭行きでした。

学生時代、京都で過ごし、初めて口にしたものは、冷やし飴と、わらび餅であった。先日、京都へ行った時、嵯峨野でわらび餅を食べようと決めていた。せっかくだから、本格的なわらび餅をと、本わらび粉使用と書いた店に入った。600円くらいを想定していたら、なんと1300円近いではないか。やめて出ようかと思ったが、かえって後悔するだろうと、30分ほど待たされて、席に案内された。わらび餅5個。一個250円以上。しかし、食べてみると、
弾力があり、口の中でとろけるように馴染んでいく。これぞ本物と、満足感。10キロのわらびから、わらび粉70グラムというから、高いわけだ。さて、何度も京都に足を運んだ漱石。食通の漱石は京都で何を食べたのだろうか。本わらび粉使用のわらび餅は食べただろうか。
天理図書館では10月から11月にかけて、「漱石――生誕150年を記念して」と題する記念展を開催していたとのことです。子規と漱石の激しいやり取りを留めた、1891年11月7日付の子規宛書簡も展示されていたとのことで、親友である二人は、じつは随分考え方、生き方も違い、だからこそ、忌憚のないやり取りをし合いながら、親友であり続けたのかもしれません。
新聞にこんな内容の記事が載っていた。子規をあつかったものですが、載っている写真は漱石。若き日、子規は書いて、書いて、書いた。漱石はそんな子規に対して、出してばかりじゃダメ。読んで、入れなければ。そういえば、漱石は、読んで、読んで、読んで、そして、書いて、書いて、書いた。本をたくさん買い、たいへんな読書家だった。じつは、同じようなことを、中学の時、兄から言われた。私は書くことは好きだったが、読まなかった。今もその傾向は変わらない。子規と漱石、生き方は違ったが、二人とも成功した。私の方は、○○○である。
先日、紹介した「ギター音吉」さんのブログ、漱石展の文章を、「北野豊の本」の、『漱石と歩く東京』からアクセスできるようにしました。ぜひ読んでみてください。
漱石忌の影響か、急に来館者が増え、開館以来、500人を超えて、びっくりしました。先日お知らせしたように、「漱石は真宗が嫌いだった?」を公開しました。長いので、三つに分けて、とりあえず1と2のみの掲載ですが、自分なりに力を入れて書きました。
漱石が亡くなり、その翌日、漱石の解剖がおこなわれました。漱石の意を汲んだ鏡子の申し出と言われています。今から100年も前の話ですから、ある面、ものすごく進んだ考え方と思います。漱石の作品を読み、また鏡子の様子を知るにつけ、100年後の今とまったくずれていない。これが、漱石の作品が今も読まれ続ける所以ではないでしょうか。
いよいよ、今日は漱石の命日。当日の様子は「日めくり」の12月9日に詳しく書かれています。今から101年前のできごとがリアルに蘇ってきます。急を知らせる当時の方法がよくわかります。自分が死んだら、万歳を唱えてくれとまで言い放った漱石。今ごろ、どうしているだろうかとも思ってしまいます。近日中に、「漱石は真宗が嫌いだった?」を公開する予定です。
いよいよ明日は漱石忌です。死んで大平を得ると考えていた漱石も、死の間際まで、生への執念を持ち続けていたようです。
『漱石と歩く東京』に関心がある方。『東京紅團』というサイトがあります。興味深い内容が多く、私もよくお邪魔しています。検索サイトで、東京紅團、と検索してみてください。
日めくりによると、1911年の今日、つまり12月6日、漱石は神田の佐藤診療所で顕微鏡を見せられた。この診療所のことは、『漱石と歩く東京』に書いてあるので省略しますが、佐藤の話題が、現代に通じて興味深いです。
ネット上でさまざまな出会いがある。「ギター音吉のブログ」では、昨年、神奈川近代文学館」で開催された「漱石展」の様子が紹介され、その中で、『漱石と歩く東京』について、「今回の収穫の最大のものと言って良い」と、嬉しい言葉をいただきました。写真までつけてくださり、感謝です。展示もしっかり見ていただきました。『門』当時の電車終点は、展示と私の見解は異なりますが、お互い確認し合いながら、それぞれの見解を尊重しました。違いに気づいたギター音吉さんはすごいですね。
今日12月3日、今から105年前、漱石は行人の連載を前に、筆が進まず、新富座に鏡子を連れて、義太夫を聴きに行ったそうです。気分転換のようですが、作品にはしっかり描き込まれました。
さすが漱石!
漱石こぼれ話に出てくるマーメイド。
絵画全体ではありませんが、マーメイドの部分だけ、掲載されている本があります。朝日新聞社刊、江戸東京博物館と東北大学編、文豪・夏目漱石ーーそのこころとまなざし、です。今から10年ほど前に出版されました。
今日、11月30日の日めくり。いかにも森田草平らしい、漱石との逸話が載っていました。
日めくりを見たら、今日は雛子の命日でした。不思議なものです。
早いもので、今年もあとわずかで師走。そして、あと10日で漱石忌です。とくにカウントダウンするつもりはありませんが、漱石を思う日々です。
ついに来館者が300人を超えました。ほんとうにありがとうございます。漱石は精神病だった?が長いので、三つに分けてみました。漱石こぼれ話に、篤姫と、マーメイドを追加しました。いろいろな漱石をお楽しみください。
漱石は精神病だった?を公開しました。①と②に分かれています。独自の考えも書いてみました。
「日めくり漱石」にリンクして、私自身とても重宝しています。12月22日の日めくりでは、藤村操の妹と安倍能成の結婚式の話しが。後日、公開する「漱石は精神病だった?」で、藤村操の話しも出てきます。
リンクに「日めくり漱石」を追加しました。漱石に関する「今日は何の日」です。毎日、毎日、今日の漱石を知るのは、とても楽しいと言うか、新しい発見があります。ぜひ、リンクのページを開いて見てください。
近日中に、連載漱石気分に、「漱石は精神病だった?」を発表する予定です。お楽しみに。
おかげさまで延べ入館者が200人を超えました。ありがとうございます。リピーターの多い文学館を目指して、更新に努めていきます。
漱石こぼれ話に、「我輩は豚である」を掲載しました。短編小説です。ぜひ、読んでみてください。
漱石気分に4と5を追加しました。これからも順次、追加していきます。
お楽しみに。
連載は現在、どちらも1から3まで公開しています。21世紀の木曜会に感想をお寄せください。お待ちしています。
開館して1週間、延べ来館者が100人を超え、とても嬉しいです。
このサイトはリンクフリーです。リンクの輪を広げてもらえれば、嬉しいです。
漱石気分は1~3まで掲載。
漱石こぼれ話も1~3まで掲載しています。ぜひお読みください。