1月12日、半藤一利さんが亡くなった。妻末利子さんについて、触れてある記事もあれば、触れていない記事もある。けれども、1993年に『漱石先生ぞな、もし』を出版した半藤さんについては、漱石との関係で、やはり何か書いておかなければならないだろう。
半藤さんは、1930年生まれだから、90歳だった。1930年生まれと聞いて、私がふと思い出したのは佐多(窪川)稲子の息子。『仮装人物』について書いている時、山田順子のところへ清書などで訪れていた稲子が、1930年に長男を出産したことに触れたからである。稲子の長男、つまり窪川鶴次郎の長男は窪川健造。2月10日生まれ。東京大学を出て、映画監督になった。半藤さんは5月21日生まれだから、学年としては1級下。やはり東京大学を出て、出版社に勤め、やがて文筆家になっていった。
半藤さんは戦時中、長岡に疎開していた。一方、妻の末利子さんは、漱石の長女筆子と松岡譲の四女。やはり長岡に疎開していた。長岡は父松岡譲の出身地である。当時は15歳と10歳だから、お互い知る由もなかっただろうが、やがて、長岡つながりの二人が結婚する。
東京大空襲で、逃げ惑う半藤少年は中川で漂流し、死にかけた。このような体験もあって、半藤さんは一貫して、戦争と、戦争につながる動きに反対し、警鐘を鳴らし続けてきた。漱石の孫の夫にあたる半藤一利さん。漱石の思いをもっともよく受け継いでいるように、私には思われる。