ごあいさつ
東京にあこがれて、文学にあこがれて、文学をテーマに東京の街歩きをしてみたいと思ったのがきっかけで、いつしか夏目漱石にはまってしまいました。
2016年の漱石没後100年、2017年の漱石生誕150年。節目の年を過ぎようという今、次の節目の年にむかって、漱石を引き継いでゆきたいと、勝手に「漱石文学館」を開館しました。この文学館が、漱石を知り、語り合う場になれば嬉しいです。
2017年10月
勝手に漱石文学館
館長 北野豊
今日のつぶやき
津田青楓。つだせいふう。4月12日まで練馬区立美術館で「生誕140年記念 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和展」が開かれています(新型コロナウイルス感染症の拡大防止などのため、会期中のイベントはすべて中止になっています)。
青楓は1880年、京都生まれ。1907年にパリに留学し、1909年に帰国し、翌年、活動の拠点を東京に移し、漱石を訪ねました。なぜ漱石なのか。パリで漱石の大ファンだった荻原守衛(碌山)と交遊をもっているので、漱石について相互に何らかの影響があったかもしれません。また、漱石自身、美術評論などもおこなっており、そのようなことから漱石に関心をもったのかもしれません。青楓は漱石に絵を教えたり、いっしょに展覧会を観に行ったり、『道草』『明暗』などの本の装丁も手掛けています。青楓は漱石の葬儀で人目もはばからず泣きじゃくったと言われています。
後に河上肇の影響を受け、プロレタリア美術運動にも関わり、1933年には虐殺された小林多喜二を主題にした「犠牲者」を描いていたところを、検挙されています。絵画の技法、様式にも捉われず、当時の社会的風潮にも迎合せず、自由でありたいという心情が、漱石と共感するものがあったのだろうと、私は思います。青楓が「背く画家」であったからこそ、漱石は惹かれ、また青楓も漱石に惹かれたのだと。
津田青楓は1978年、98歳で亡くなりました。
(『館長のつぶやき』より)
新着
連載 漱石こぼれ話』に『25.田端点描』を追加しました。
連載 漱石気分』が完結しました。
21世紀の木曜会』へのご参加、お待ちしてます。
長年の漱石研究の成果をもとに、何ものにも囚われない在野の視点から、漱石を描きます。今までの常識がひっくり返るような事実も浮かび上がってきます。順次、新しい章を追加、掲載していきます。お楽しみに。
漱石に関わる単発のテーマを、思いつくまま、気のむくままに、順次、掲載していきます。漱石気分に書き入れることができなかった「こぼれ話」です。お楽しみに。
漱石に関係あること、ないこと。館長が勝手気ままにつぶやきます。
漱石のもとを訪れる人が増え、漱石の負担を心配した弟子たちが、木曜日に限って漱石のもとに集まるという申し合わせをするようになりました。こうして生まれた木曜会には漱石も顔を出し、集まった人たちも忌憚のない意見を出し合いました。
「21世紀の木曜会」。連載に対する意見、感想をはじめ、漱石に関すること何でも、お互いに語り合い、意見交換、情報交換していきましょう。発言、お待ちしております。
北野豊著『漱石と歩く東京』『漱石と日本国憲法〜漱石からのメッセージ』の紹介と購入方法が書かれています。
漱石の作品を読みたい方、どうぞご利用ください。
クリックすると、「青空文庫」の漱石掲載作品一覧のページへ移動します。
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私のふるさと金沢が生んだ三文豪、泉鏡花・徳田秋聲・室生犀星に関するコーナーです。鏡花については漱石もかなり注目をしており、漱石は鏡花・秋聲に朝日新聞連載の便宜を図っています。犀星は漱石最後の、そしてもっとも才能ある門下生と言われる芥川龍之介と親しくなり、龍之介は漱石が果たせなかった金沢訪問を実現しています。そのような三文豪について、順次、私が書いた文章を掲載していきます。
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