ごあいさつ
東京にあこがれて、文学にあこがれて、文学をテーマに東京の街歩きをしてみたいと思ったのがきっかけで、いつしか夏目漱石にはまってしまいました。
2016年の漱石没後100年、2017年の漱石生誕150年。節目の年を過ぎようという今、次の節目の年にむかって、漱石を引き継いでゆきたいと、勝手に「漱石文学館」を開館しました。この文学館が、漱石を知り、語り合う場になれば嬉しいです。
2017年10月
勝手に漱石文学館
館長 北野豊
今日のつぶやき
新型コロナウイルス感染の世界的拡大にともなって、100年前に大流行し、多くの犠牲者を出したスペイン風邪が注目を集めるようになっています。
芥川龍之介も1918年10月末頃、スペイン風邪を発症し、「熱があつて咳が出て甚苦しい。」状況が続いて、一週間ほどで回復しましたが、劇作家の島村抱月は10月29日に発症し、11月5日に亡くなりました。この二カ月後、愛人で女優の松井須磨子が、自分は発症しても生きていて、抱月が亡くなったことに後ろめたさを感じたのか、後追い自殺して話題になりました。惚れた歌舞伎役者の後追い自殺を描いた鏡花の『葛飾砂子』が映画化されたのは1920年であり、須磨子の事件が20年も前の作品を掘り起こすきっかけになったように、私には思われます。
27歳の龍之介は2月中頃から再びスペイン風邪に罹り、症状はだらだら続き、3月3日に東京・田端の自宅から鎌倉の家へ戻りましたが、12日になっても、「目下インフルエンザの予後で甚だ心細い生き方をしてゐます」と書いています。そして3月15日、龍之介の実父新原敏三がスペイン風邪で亡くなりました。69歳でした。
正確な状況を把握することは不可能ですが、日本におけるスペイン風邪の患者数約2358万人以上、死者数約38万5千人以上と推定されています。関東大震災や東京大空襲、広島や長崎における原爆犠牲者をはるかに上回る数字で、日本総人口のおよそ41.6%以上がスペイン風邪を発症し、0.68%以上が亡くなったにも関わらず、スペイン風邪は「忘れ去られたパンデミック」と言われるように、日常生活の中に埋没していきました。コレラが怖くて、家に引きこもったり、食材は煮沸して食べた泉鏡花も、スペイン風邪から逃げ回った形跡はありません。1916年に疫痢で長女を失った徳田秋聲も、スペイン風邪について特に触れていないのです。
もちろん、芥川龍之介と同じように、スペイン風邪に罹ったことを書簡などに残した文学者がないわけではありません。歌人で精神科医の斎藤茂吉もその一人。茂吉は1920年1月、長崎で罹患し、生死をさまよい、同僚医師が亡くなっています。茂吉はスペイン風邪からは生還しましたが、結局、結核を発症し療養を余儀なくされました。武者小路実篤はスペイン風邪から20年を経過した1939年に書いた『愛と死』で、主人公の惚れた女性をスペイン風邪によって奪っています。
ただ、丹念に読んで行けば、スペイン風邪大流行時の影を見出す作品はいくつかあるのではないだろうか。私がひっかかったのは、室生犀星の『或る少女の死まで』です。
1919年、小説家に転身した犀星は、『幼年時代』『性に眼覚める頃』に続いて、11月、『或る少女の死まで』を発表しました。幼年期、少年期に続いて、上京間もない青年期を描いた作品に、なぜ少女の死をテーマに選んだのでしょうか。
ひとつの可能性は、結婚を機に、石尾春子や村田艶(ツヤ)をはじめとする、それまで犀星が好きになった女性を「殺す」つまり、記憶から消してしまうということです。とりわけ、ふじ子に関しては、石尾春子との金石時代の思い出が重ねられているように感じられ、1914年8月7日の夜行で、「緑深い金沢」へ帰った犀星が春子に再会し、やがて恋破れていったことも反映されているようです。
ただ、新型コロナウイルス感染症の拡大が日本も含め、世界を揺るがす中で、100年前のスペイン風邪大流行に注目した時、私にはもうひとつの可能性が浮かんできました。『或る少女の死まで』はスペイン風邪の第一次大流行を越え、第二次大流行へさしかかる1919年に書かれました。2月には結婚に際し労を惜しまなかった義母(実父の妻)小畠珠が49歳で亡くなっており、時期的にスペイン風邪による死を否定できません。親友になった龍之介もスペイン風邪に罹ったし、龍之介の実父は3月にスペイン風邪で亡くなっています。
当時は多産多死の時代がまだ続いており、人が生まれ、人が亡くなっていくということが、日常生活の当たり前の出来事で、さまざまな感染症が繰り返し襲って来ており、乳幼児の死亡も多く、スペイン風邪だけが、特別な存在として意識されることは、ほとんどなかったと思われますが、それでも平常よりはるかに多い死亡は、社会全体を包み込み、犀星にも影響を与えたのではないでしょうか。
『或る少女の死まで』で元気なふじ子は、鹿児島に行ってから、12月に腸に病を得て急死しています。腸チフスを想定したかもしれませんが、設定時期1911年頃を、1918年12月に振り替えていくならば、スペイン風邪を念頭に置いたという推論も成り立ってきます。激しい嘔吐・下痢もスペイン風邪の症状としてみられ、元気だった子どもがあっという間に亡くなってしまった事例もみられます。
 
(『館長のつぶやき』より)
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連載 漱石気分』が完結しました。
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長年の漱石研究の成果をもとに、何ものにも囚われない在野の視点から、漱石を描きます。今までの常識がひっくり返るような事実も浮かび上がってきます。順次、新しい章を追加、掲載していきます。お楽しみに。
漱石に関わる単発のテーマを、思いつくまま、気のむくままに、順次、掲載していきます。漱石気分に書き入れることができなかった「こぼれ話」です。お楽しみに。
漱石に関係あること、ないこと。館長が勝手気ままにつぶやきます。
漱石のもとを訪れる人が増え、漱石の負担を心配した弟子たちが、木曜日に限って漱石のもとに集まるという申し合わせをするようになりました。こうして生まれた木曜会には漱石も顔を出し、集まった人たちも忌憚のない意見を出し合いました。
「21世紀の木曜会」。連載に対する意見、感想をはじめ、漱石に関すること何でも、お互いに語り合い、意見交換、情報交換していきましょう。発言、お待ちしております。
北野豊著『漱石と歩く東京』『漱石と日本国憲法〜漱石からのメッセージ』の紹介と購入方法が書かれています。
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私のふるさと金沢が生んだ三文豪、泉鏡花・徳田秋聲・室生犀星に関するコーナーです。鏡花については漱石もかなり注目をしており、漱石は鏡花・秋聲に朝日新聞連載の便宜を図っています。犀星は漱石最後の、そしてもっとも才能ある門下生と言われる芥川龍之介と親しくなり、龍之介は漱石が果たせなかった金沢訪問を実現しています。そのような三文豪について、順次、私が書いた文章を掲載していきます。
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