下女というのは一つ屋根の下に住むだけに、信用のおける人物でなければなりません。学生時代に一戸を構えようとした『こころ』の先生は、《婆さんが又正直でなければ困るし、宅を留守にしても大丈夫なものでなければ心配だし》と述べており、実際『明暗』の津田家では、《夫婦以外に下女しか居ない彼らの家庭では、二人揃って外出する時の用心に、大事なものに錠を卸して置いて、何方かが鍵だけ持って出る必要があった》と記されています。それだけに信用のおける人の紹介というのが大きな役割を果たしていたようです。『琴のそら音』の靖雄の下女は婚約者宇野露子の家から紹介された婆さんで、『虞美人草』に登場する井上孤堂の家の下女は浅井の紹介で小野が入れた婆さんで、小野は年を取っていて心配していたが、《その代わり人間は慥だそうです》と述べています。
作品を書くにあたって、ここまで下女に心配りしているのは、漱石自身、下女にはずいぶん敏感だったからではないでしょうか。1914年の『漱石日記』(家庭日記)には、下女に関する記述が多く出てきます。この年、下女が泥棒の嫌疑をかけられ、次の下女は無断で朝勝手の戸を明け放ったまま逃亡、次の下女は美人だったが一日でやめてしまう。その後、新井屋の周旋で来た下女と山形出身の下女は言葉遣いができていない。漱石は《私はこの二人も前の妄りに入れ代った下女もみんな偽であると思う。偽者であると思うとみんな足で蹴飛してやりたくなる。(略)私は彼らを人間とは思わない。けだものだとして取扱うつもりでいる。人間としての資格がないからである》と記し、こうした下女を平気で使っているのは、妻が自分に苦痛を与えるためだとしているのです。軽蔑と被害妄想。この日記文が学習院における講演と同じ年に書かれたものですから、ほんとうに同一人物が書いたのかと、にわかに信じがたい文章です。
電話の要領を得ない、こそこそ話す、ぞんざいな言葉遣い、馬鹿丁寧な言葉遣い、台所の揚板のきしみ、口中に風を入れてひーひー鳴らす等々、とにかく何かにつけ下女の行動が気に触る。そしてこんなこともあったと言います。《この前にチビの下女がいた。至って品性のよくないこせこせした下女であったが、それが大層妻の気に入っていた。私はとうとうそれを出してしまった》。漱石はさらに記しています。《彼らの一人も決して普通の家の下女としては通用せぬものである。代えれば必ず妙な奴をよこす。桂庵から来ると黙って帰って行くのがある。たまたま好さそうなのが来ると一日で帰る。妻のいうところによると碌な家庭でないから碌な女がいつかないのだそうだ》。妻鏡子も負けてはいません。