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5.篤姫
NHK大河ドラマ『篤姫』を観てしまった。2007年のことである。
私が好きな作家「三宮さん」のひとり、宮尾登美子原作ということもあった(ついでながら、あと二人は、宮本輝、宮部みゆき)。もちろん、もっと大きな理由は宮﨑あおい主演ということにある。何かの因縁か、ここでも「宮」がつく。
篤姫はつねに自らの人生を自ら選択できない環境に置かれながら、その中に自分の生きる道をみつけ、主体的に生きた人物である。少なくとも、そのように描かれている。篤姫は落飾後、天璋院とよばれるようになった。天璋院の写真をみると、当然のことながら、宮﨑あおいとずいぶん違う。大河ドラマ『篤姫』では、篤姫を演じる宮﨑あおいと、演出によって、宮﨑あおいの篤姫が創り上げられた。それが私をドラマに引きつけた。
宮崎あおいの本名は「宮あおい」だから、宮様と葵の御紋で、天皇と徳川の合体、まさに公武合体、和宮のような存在である。そんな彼女が、篤姫を演じた。
天璋院篤姫は和宮と違って日本史の教科書には出てこない。しかし、その天璋院が、漱石の出世作『吾輩は猫である』に登場する。吾輩が二絃琴の御師匠さんの家で飼われている三毛子を訪問すると、三毛子は「あれでも、もとは身分が大変好かった」と、御師匠さんのことを言う。「何でも天璋院様の御祐筆の妹の御嫁に行った先の御っかさんの甥の娘なんだって」。御祐筆とは、公文書の作成・記録・保存などする係りで、大奥にも存在したという。情報が集中するわけであるから、かなり力をもったようだ。
天璋院は1883年に亡くなった。『吾輩は猫である』が書かれる20年以上前である。天璋院が島津の分家出身であろうと、支配者層出身であることにかわりはない。しかも将軍の御台所である。そのような人物であるにもかかわらず、徳川瓦解が昨日のことのような明治にあって、言葉遊びに引用されるくらい身近で親しみある存在だったのだろう。そこに、彼女の人となりを垣間見ることができるのではないか。
『吾輩は猫である』には浅田宗伯も登場する。宗伯は漢方医で、幕府のお目見得医師。1866年から大奥の侍医を勤めた。つまり天璋院の主治医でもあった。浅田飴の処方を考案した人物で、明治になっても駕篭で往診に出かけた。漱石は「こんな真似をして澄していたものは旧弊な亡者と、汽車へ積み込まれる豚と、宗伯老とのみであった。」と記している。