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7.『猫』の前、すでに成功者であった漱石
漱石を一躍有名にした『吾輩は猫である』は1904(明治37)年に、その第一回が文章会「山会」で発表され、翌年1月から『ホトトギス』に連載された。『猫』がなければ、小説家漱石もなかったかもしれないし、日本中に知られ、お札の肖像にまでなる人物にはなっていなかったであろう。
小説家の中には世に出るまで不遇な時代を過ごした人が少なくない。しかし、小説家漱石が世に出るまで、彼はけっして不遇だったわけではない。本人の思いはどうであれ、客観的にみれば、彼はすでに成功者であった。
何より彼は、東京帝国大学に学び、しかも文部省の特待生であった。彼は大学院にまで進学している。漢文から英文までものにして、学歴も申し分ない。都落ちの感は否めないものの、松山中学を経て、熊本の第五高等学校では教授、さらに英語科主任にまでなっている。30歳であった。
そんな彼を九州の地に埋もれさせることなく、文部省は彼に英語研究のため二年間のイギリス留学を命ずる。国費留学である。
帰国後は、第一高等学校・東京帝国大学の講師に就任。東京への復帰を果たし、ゆくゆくは東京帝国大学の教授におさまったであろう。
結婚し、三女にも恵まれていた。当時の日本において、いや今日においてさえ、仕事においても、地位においても、家庭生活においても、これだけ恵まれた人物はそう多くない。
あきらかに漱石は『猫』以前において、すでに成功者なのである。そして、『吾輩は猫である』をきっかけに、彼はさらなる成功者になっていったと言える。