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8.職に就かない人々
職に就かない若者が増加して、「ニート」という言葉も生まれた。大学は出たけれど、就職できない若者、非正規雇用に甘んじなければならない若者も多い。そんな現代をみていると、百年前に書かれた漱石の小説の世界がよみがえってくる。
漱石の作品が今日も受け入れられるのは、普遍性のあるテーマを描いたこともあるだろうが、現代とけっしてずれていない点も大きい。それは漱石の先見性にもよるが、時代背景が似通っている点も見逃せない。
漱石が作品を生み出していった日露戦争から第一次世界大戦に至る時代の日本は、経済活動が急成長し、日本資本主義が確立していく時期である。貧困層が増加し、労働運動・社会運動も激化していく一方で、子どもの一人や二人働かなくても何とかやっていける中産階級も増加した。資本主義的格差社会の出現である。ストレスを溜め込みやすい都市型社会が拡大し、精神疾患も増大した。じつに似ているのである、現代と。
漱石の作品に登場する人物の多くは職に就いている。それでも、職に就かない人物を好んで描いた点において、他の作家に抜きん出ていると言えるのではないか。漱石の作品において職に就いていない人物は大きく四つのタイプに分けられる。
第一は、職を探しているが見つからないタイプである。『野分』の高柳周作や『彼岸過迄』の田川敬太郎は大学を出たけれど職がない。高柳は卒業を待っていてくれた親がいるのにと嘆く。哲学科を出た友人は三年経っても職がないという。親友の中野春台が裕福な家庭に生れたため、職に就かなくても好きな文筆に打ち込んでいけるのと対照的である。田川は幸運にも親友須永市蔵の叔父田口要作に就職の斡旋を依頼し、馬鹿げた探偵ごっこで試されながら、ついに職を得ている。
漱石は「道楽と職業」(1911年、明石における講演)において、大学は出たけれど就職先がなく、有能な人材が何年もぶらぶらしているのは国家の経済からいうと随分馬鹿気た話であると述べ、大学に職業学の講座を置くべきであると提案している。
今日も有能な若者が「ニート」として職から隔絶し、一方で働けど働けどわが暮らし楽にならず、心身共に擦り減らされていくワーキングプアの若者が数多く存在することは、日本の将来においても実に大きな損失であると言わざるを得ない。
第二は、特に生活に困らず暮してきたため、学校を卒業しても就職の意思がないタイプである。『虞美人草』の甲野欽吾は大学で哲学をやってきたようだが、就職する気はない。親友宗近一が外交官試験に合格し倫敦に赴任するのと対照的である。
『彼岸過迄』の須永は母に大事にされ、我儘になったため、去年学校を卒業して以来、今日まで就職という問題について唯の一日も頭を使った事がないと述べている。
『こころ』では先生を慕う私も、大学は卒業したものの、職業というものに就いて全く考えたことがないという。そこで先生の奥さんに、あなたは財産があるからそんな呑気な事を云っていられると言われ、「先生のようにごろごろばかりしていちゃ…」とたしなめられる。
第三は、職をもってあくせくしている人間を、どちらかと言えば軽蔑し、それを超越している自分を崇高な者としているタイプである。『彼岸過迄』の松本恒三は一戸を構え、妻子もあるが、職には就いていない。彼は須永の叔父にあたるが、同じく叔父の田口を「第一ああ忙がしくしていちゃあ、頭の中に組織立った考えの出来る閑がないから駄目です。彼奴の脳と来たら、年が年中擂鉢の中で、擂木に攪き廻されてる味噌みたようなもんでね。あんまり活動し過ぎて、何の形にもならない」と評し、自らを高等遊民と称する。
『こころ』の先生は親の遺産を叔父に騙し取られたというものの、金に不自由のない学生生活を送り、就職した経験は一度もない。彼は学生時代すでに厭世的になり、自分の敵視する叔父や叔母、その他親戚を人類の代表者と考え、人間を警戒し、神経だけ鋭く尖ってしまった。彼は読書に耽りながらも、その知識は自己の中に埋もれている。
松本はどうやって生計が成り立っているのかわからないが、須永や先生は親の遺産の御蔭で職に就かずに生活できている。圧巻は『それから』の代助である。父は事業家で、代助はその全面的な経済支援を受けながら、職にも就かず、神楽坂に一戸を構え、下女と書生を置いている。その書生の門野も、学校を転々とした末、やめてしまい、ぶらぶらしていたところを、掃除する程度の条件で代助の家に来た。働こうとしない代助に父は月々御前の生計位どうでもしてやる。だから奮発して何か為るが好い。国民の義務としてするが好い。もう三十だろう。三十になって遊民として、のらくらしているのは、如何にも不体裁だな、と言うのだが、代助は決してのらくらしているとは思わない。ただ職業の為に汚されない内容の多い時間を有する上等人種と自分を考えている。結局、親友平岡の妻三千代との関係に行き詰まった上、実家から勘当された代助は、「門野さん。僕は一寸職業を探して来る」と、ここに至って初めて就職を口にする。そして電車に乗った代助は、車内で世の中が真赤になって、頭を中心としてくるりくるりと燄の息を吹いて回転し始めるのである。
第四は、かつて職をもっていたが、その中でのしがらみに嫌気がさしてやめてしまったタイプである。「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」こんな書き出しで有名な『草枕』の余は、かつては職を有していたのだろうが、住みにくい世に決別し、今はさすらいの生活である。
『野分』の白井道也は三度教師となって三度追い出され、飄然と東京へ舞い戻り、妻に教師はもうやらんと打ち明ける。これから何をなさる御積りと妻に聞かれても、別にこれと云う積りはないと答える。白井は文筆に打ち込むが、月35円以外に定収入はない。それでも白井は一応稼ごうとしたし、わずかばかりではあるが稼ぎもした(なお『野分』を書いた年、朝日新聞に就職した漱石の月給は200円であった)。
漱石はドロドロとした現実社会に対して痛烈な批判を浴びせる。しかし彼の作品でそのような現実社会がこれでもかこれでもかと言うように、克明に延々と描かれることはない。漱石の作品で職場が舞台になるのは、『坊ちゃん』と『抗夫』くらいで、漱石にしては珍しく肉体労働者を描いた『抗夫』でさえ、脂ぎったドロドロしたところはどこにもなく、主人公は抗夫でも何でもすると必死だが、「僕は東京です」と言って、「僕だなんて――書生ッ坊だな」と言われる。登場人物は職がなくても鷹揚に構えており、生活に窮するところがない。苦沙弥先生や広田先生にしても、野中宗助、健三、津田由雄にしても、職には就いているものの、職場で働く姿がほとんど描かれないし、仕事への情熱もあまり感じられない。わが道を行く人物たちである。
「道楽と職業」(前出)において漱石は、科学者・哲学者・芸術家の類は道楽を本職としている人間で、じつに我儘、自己本位でなければ到底成功しない、己がなければ蝉の脱殻同然で、ほとんど役に立たないと述べている。つまり漱石は、職に就く就かないは別として、道楽に生きる人々を描いたのであり、彼らを通して、社会の本質、真実を描き出そうとしたのであろう。
しかし、いかに理不尽な現実社会から一線を画したところで、理不尽な社会が産み落とした富のおこぼれの上に自身の生活、自身の道楽が成り立っていることもまた事実である。その自己矛盾、その不安定さが、漱石の作品の魅力を醸し出し、同時に不完全燃焼の苛立ちを感じさせる。漱石自身は大学院を出てから、イギリス留学をはさんで教職に就いており、専業の作家生活にはいっても、朝日新聞に就職という形をとって社員として月給をもらい、安定した収入を得ている。それでいて漱石は給料のために自分を捻じ曲げてまでも仕事したいとは思っていないし、朝日新聞社員としても私本位、道楽本位に述作することを許されてきた。漱石は神経症と肉体各所の病に苦しめられながらも、安定した生計を維持することができ、かつ生きるために頭を下げることもなく、職業と道楽を一致させることができた、たぐいまれな人物であった。