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12.漱石の『こころ』がわからない?①
読んで損した気分
『こころ』と言う作品は、今もよく読まれています。高校などで読まされたという人も多いかもしれません。どうも後味の良くない作品です。『こころ』を読んで、漱石を嫌いになったと言う人もいます。私も『こころ』を読まざるをえなくなって、これのどこが名作なのかと思ったものです。話の筋が分かりにくいのではありません。先生がどうして自殺したのか、まったくわからないのです。どうでも良いようなことがわからないのなら、通り過ぎてしまえば良いのですが、文豪が書いた名作と言われる作品ですから、先生の自殺と言うのは、何か大きなメッセージをもっているはずです。そのメッセージが何かわからないと言うことは、『こころ』を読んだこと自体がまったく無意味になってしまうわけで、私は読んで損した気分にさせられました。
そんな私が、漱石にはまって、『こころ』と言う作品も繰り返し読むようになったのですから、人生、何が起こるかわかりませんが、先生の自殺も何となくわかるようになり、今こうして謎解きを書いているわけです。
結論から言いますと、『こころ』と言う作品は、正面から、どれだけ深く心の内面を読み取ろうとしても、先生の自殺の動機は絶対にわからないのです。つまり、自殺の動機はまったく別のところにある。裏の方に隠されているのです。私はこれを「作品の二重構造」と呼んでいるのですが、漱石を「社会に生きる人」「社会派作家」として捉えた時、『こころ』の謎が何となく解けてきました。
作品の二重構造
じつは、『こころ』より先に書かれた『門』と言う作品も、「二重構造」になっているように、私には思えます。
『門』は、話としては、親友の妻を奪い取った主人公が、地方勤めの後、東京へ戻って、崖下の家で慎ましやかに生活していく物語です。漱石には、『虞美人草』『それから』『こころ』『明暗』など、「三角関係」を描いたものが多いですが、『門』も、漱石お得意の「三角関係」物語のひとつです。
この物語を、裏から、つまり二重構造の表面からは見えない裏面から読んでみましょう。
漱石は1909年に、満州・朝鮮を旅して帰国しましたが、その直後、伊藤博文が暗殺されると言う事件が起きています。この時、伊藤の近くいた中村是公も被弾して負傷しています。是公は漱石の親友で、満州・朝鮮の旅のスポンサーでもありました。漱石は1910年に入って『門』の連載を始め、6月に終了しています。そして、8月に朝鮮が併合され、大逆事件が進行し、一方、漱石は修善寺で、一時危篤に陥ってしまいます。
このような状況の中で、漱石は『門』を通じて、密かに問いかけたのではないでしょうか。――「親友の妻を奪い取る」ということを、道徳的に許すことができますか?もし、こうした行為を許すことができないならば、満洲や朝鮮の人びとから主権を「奪い取っていく」という日本の行為は、道徳的に果たして許すことができるのでしょうか?
その結果はどうでしょう。主人公と妻の間にできる子どもは、流産・早産・死産。この夫婦に未来がないように、主権を奪い取った日本に未来はない。これが『門』の隠されたメッセージではないでしょうか。漱石が早々に『満韓ところどころ』の連載を打ち切ってまでも、『門』を書きたかった理由がここにあるように、私は思います。
反政府的な言動に対して厳しい弾圧が始まっていく時代ですから、漱石のような「危険思想」の持ち主は、とりわけ用心しなければならなかったでしょう。ほんとうに言いたいことを裏に隠してしまったのではないかと、私は思います。
『ひみつ』と言う題の方が良かった?
『こころ』では、さらに「作品の二重構造」が徹底的に貫かれています。
『こころ』は、《私はその人を常に先生と呼んでいた。だから此所でもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない》で始まって、《私は妻には何も知らせたくないのです。妻が己れの過去に対してもつ記憶を、なるべく純白にして保存して置いて遣りたいのが私の唯一の希望なのですから、私が死んだ後でも、妻が生きている以上は、あなた限りに打ち明けられた私の秘密として、凡てを腹の中にしまって置いて下さい。》で終っています。
つまり、「秘密」で始まって、「秘密」で終わっているのです。私などは、『こころ』という題をやめて、『ひみつ』という題にした方が良いと思うくらいです。国家主義が強まると、やたらに「ひみつ」が多くなる。漱石は「秘密」で始まり、「秘密」で終わる作品を書くことによって、国家主義を痛烈に批判しようとしたのではないでしょうか。そして、それとともに漱石は、もっとも大切なメッセージもすべて、秘密のベールに隠してしまったようです。
それでは漱石は、いったいどんなメッセージを発信しようと思っていたのでしょうか。1912年、明治が終わり、『こころ』が書かれたのは、1914年、大正3年です。漱石は何度も胃潰瘍で倒れ、いつ死んでもおかしくない状況で、「先生」は遺書でつぎのように書いています。
私は今自分で自分の心臓を破って、その血をあなたの顔に浴せかけようとしているのです。私の鼓動が停った時、あなたの胸に新らしい命が宿る事が出来るなら満足です。
穏やかそうな「先生」にしては、過激な言葉。胃潰瘍で、何度も血をはいている漱石の姿を重ねてみてください。『こころ』と言う作品は、漱石自身の遺書として書かれたものと考えられます。そうであるならば、当時の社会と正面から向き合った漱石のメッセージが、隠されているはずです。このメッセージがわかれば、先生の自殺についてもわかるでしょう。逆に言えば、先生の自殺についてわかれば、漱石の遺言とも言えるメッセージがわかるのではないでしょうか。
謎解きの始まり
ところで、『こころ』の先生の名前は?――作品の冒頭で、先生の名前は秘密にされてしまったので、わかりません。じつは「私」の名前もわかりません。『吾輩は猫である』の猫も、最後まで名前をつけてもらえなかったし、坊ちゃんの名前を言える人もいない。漱石の作品では珍しいことではありません。だから逆に、名前が意味をもつこともあるのです。
『こころ』の先生の奥さんの名前は?――正解は「静」。作品のかなり早い段階に名前が書かれています。と言うことは、この名前が意味をもっていると言うことになります。静は乃木大将の奥さんの名前。そうなれば、先生は乃木大将にあたります。
先生と乃木大将なんて、似ても似つかない取り合わせですが、乃木大将は、明治天皇の死に際して、「殉死」した人物です。だから、先生もまた、当然「殉死」しなければならない宿命を負っているのです。これでは、先生のこころの奥底をどんなに読み取ろうとしても、先生の自殺の動機などわかるはずがありません。
では、先生もまた、明治天皇に殉死したのでしょうか。――違います。漱石は1913年に第一高等学校でおこなった講演で、
乃木さんが死にましたろう。あの乃木さんの死というものは至誠より出でたものである。けれども一部には悪い結果が出た。それを真似して死ぬ奴が大変出た。乃木さんの死んだ精神などは分らんで、唯形式の死だけを真似する人が多いと思う。そういう奴が出たのは仮に悪いとしても、乃木さんの行為の至誠であるということはあなた方を感動せしめる。それが私には成功だと認められる。そういう意味の成功である。だからインデペンデントになるのは宜いけれども、それには深い背景を持ったインデペンデントとならなければ成功は出来ない。成功という意味はそう言う意味でいっている。
と述べています。
その漱石が「先生」に「殉死」をさせる。矛盾した話です。だからこそ、それは乃木大将の「模倣」では困る。「先生」自身の「インデペンデント(独立)」から出たものでなければならないのです。そこで思いついたのが、「明治の精神に殉死する」ということでした。よほどうまいことを思いついたと喜んだのか、漱石は「先生」の言葉を借りて、《その時何だか古い不要な言葉に新らしい意義を盛り得たような心持がしたのです》と述べています。
さらに、漱石は乃木大将が妻「静」を道連れにしたことも痛烈に批判しています。
自分の運命の犠牲として、妻の天寿を奪うなどという手荒な所作は、考えてさえ恐ろしかったのです。私に私の宿命がある通り、妻には妻の廻り合せがあります。二人を一束にして火に燻べるのは、無理という点から見ても、痛ましい極端としか私には思えませんでした。
この文章が、乃木大将殉死の話題より前に書いてあるため、乃木批判と直接結びつかないのですが、漱石は巧妙に安全策を講じたのでしょう。「先生」は遺書の最後の方で、《私は妻に血の色を見せないで死ぬ積りです》と書いています。これも、血を見せた乃木の死に対する当て付けとも取れます。漱石は乃木大将の殉死を扱うことを通じて、「国家主義」を高揚するのではなく、むしろ「国家主義」に対する批判を試みたのではないでしょうか。