じつは、『こころ』より先に書かれた『門』と言う作品も、「二重構造」になっているように、私には思えます。
『門』は、話としては、親友の妻を奪い取った主人公が、地方勤めの後、東京へ戻って、崖下の家で慎ましやかに生活していく物語です。漱石には、『虞美人草』『それから』『こころ』『明暗』など、「三角関係」を描いたものが多いですが、『門』も、漱石お得意の「三角関係」物語のひとつです。
この物語を、裏から、つまり二重構造の表面からは見えない裏面から読んでみましょう。
漱石は1909年に、満州・朝鮮を旅して帰国しましたが、その直後、伊藤博文が暗殺されると言う事件が起きています。この時、伊藤の近くいた中村是公も被弾して負傷しています。是公は漱石の親友で、満州・朝鮮の旅のスポンサーでもありました。漱石は1910年に入って『門』の連載を始め、6月に終了しています。そして、8月に朝鮮が併合され、大逆事件が進行し、一方、漱石は修善寺で、一時危篤に陥ってしまいます。
このような状況の中で、漱石は『門』を通じて、密かに問いかけたのではないでしょうか。――「親友の妻を奪い取る」ということを、道徳的に許すことができますか?もし、こうした行為を許すことができないならば、満洲や朝鮮の人びとから主権を「奪い取っていく」という日本の行為は、道徳的に果たして許すことができるのでしょうか?
その結果はどうでしょう。主人公と妻の間にできる子どもは、流産・早産・死産。この夫婦に未来がないように、主権を奪い取った日本に未来はない。これが『門』の隠されたメッセージではないでしょうか。漱石が早々に『満韓ところどころ』の連載を打ち切ってまでも、『門』を書きたかった理由がここにあるように、私は思います。
反政府的な言動に対して厳しい弾圧が始まっていく時代ですから、漱石のような「危険思想」の持ち主は、とりわけ用心しなければならなかったでしょう。ほんとうに言いたいことを裏に隠してしまったのではないかと、私は思います。