このページのPDF版はコチラ→
11.鏡子の出生地
漱石の妻鏡子の出生地は現在の広島県福山市となっている。しかし、待てよ。
鏡子の父、中根重一は1851年、福山藩江戸藩邸で生まれた。すぐ東には加賀藩江戸藩邸(現、東京大学本郷キャンパス)があった。福山藩主阿部候は譜代大名で、老中の家柄であり、重一が生まれて二年後の1853年、ペリーが浦賀へ来航した時、老中首座を務めていたのも、福山藩主阿部正弘であった。明治になって、福山藩江戸藩邸は分譲され、一帯は西片町と名づけられ、東京帝国大学に近いことから、学者が多く住み、「学者町」とよばれた。漱石も『趣味の遺伝』で、学者の余を西片町に住まわせている。漱石自身も職業作家に転身する時、この町に住んでいた。西は本郷台の崖になり、崖下一帯は丸山福山町で、一葉終焉の地である。本郷台へ上る坂は福山坂と呼ばれ、町名と共に、福山藩にちなんだものである。
話しはそれてしまったが、重一は江戸で生まれ、幕府の滅亡、江戸から東京への移り変わりを見ながら成長してきたのである。そして、結婚、鏡子が生まれた。今でこそ、東京から新幹線で数時間の福山も、基本的に徒歩で移動する明治初期の日本で、身重な女性がわざわざ福山まで行って、出産するとは考えられない。おそらく、福山藩士の家柄であるから、重一の本籍は福山で、東京で生まれた鏡子も、本籍は福山となっているのだろう。そして、そのようなところから福山生まれになったのではないだろうか。
と、言いながら、ひとつ引っかかることがある。鏡子が生まれたのは、1877年7月21日であるが、父重一は6月に新潟へ赴任している。そうであるなら、鏡子は新潟で生まれたのではないか。私も漱石が作品の中に、新潟をたびたび登場させている(『坊ちゃん』のキヨ、『こころ』のKも新潟出身であるし、『野分』の道也も新潟赴任がある)ことから、鏡子は新潟で生まれたと書いたことがある。松岡陽子マックレインも『漱石夫妻愛のかたち』で、祖母(鏡子)が少しの間、新潟に住んだことがある、と語ったと記している。しかし、待てよ、である。信越線が開通して、汽車で東京から新潟まで行くことができるようになったのは、1909年。1877年当時、福山同様、身重な女性が歩いて行けるところではない。
おそらく鏡子は東京で生まれ、少し落ち着いてから、母カツは新潟の夫のもとに行ったのであろう。どうも、そう考えるのが、もっとも現実的なようである。誰か、具体的な資料や研究をご存知の方があったら、ぜひ紹介していただきたい。