写生文とは、対象をありのままに写す「写生」の概念を、散文にあてはめたもので、正岡子規が提唱した。漱石も子規の影響を受けて写生文に傾倒していた。もちろんどこまでが写生文で、どこから違うのか、明確な区分はないであろう。また、写生と言っても、「猫」が語るように、すべてを観察し、すべてを描写しきれるものでもない。
二十四時間の出来事を洩れなく書いて、洩れなく読むには少なくとも二十四時間かかるだろう、いくら写生文を鼓吹する吾輩でもこれは到底猫の企て及ぶべからざる芸当と自白せざるを得ない。従って如何に吾輩の主人が、二六時中精細なる描写に価する奇言奇行を弄するにも関らず逐一これを読者に報知するの能力と根気のないのは甚だ遺憾である。遺憾ではあるが己を得ない。
また、事実、ありのままと言っても、文章として読んでもらうためには、どこかに「山」をつくる演出も必要になってくる。
「写生文」において、書き手が観察者である。観察者と観察対象は同じ平面に立つが、観察するものと観察されるものという立場の違いがある。相手が泣いていても、それに同情することはあっても、いっしょに泣くことはなく、泣いている相手を観察し、それをありのままに記録していく。感情移入なく、冷酷と言えば冷酷であるが、感情は読み手に委ねられている。漱石が写生文に傾倒したのは、観察することが好きだった、幼いうちから観察することが習慣になってからではないだろうか。漱石は養家においても、実家においても、親兄弟の中に溶け込むことができなかった。つねに傍観者として家族を観察する態度が身についてしまったのではないだろうか。
こうした態度は漱石の小説にも表れている。「探偵」である。吾輩は探偵のようにあちらこちら動き回り、それを報告している。その報告書が『吾輩は猫である』にあたるだろう。『趣味の遺伝』の余も探偵気取りである。『彼岸過迄』の敬太郎が果たした役割は、《絶えず受話器を耳にして「世間」を聴く一種の探訪に過ぎなかった》。何か盗聴器のような役割であるが、「傍観者」「傍聴者」そして「探偵」という言葉をよく表わしているように思える。実際に敬太郎は田口によって「探偵」ごっこをさせられる。『こころ』の私は先生に近づいて、しきりに先生の謎を探偵するが、ついに得られなかった。そこへ先生本人から「遺書」という形で膨大な報告書が届く。
漱石はつねに「探偵」されているという意識が強かったと言われている。「妄想」とりわけ「被害妄想」が強く、漱石精神病説を支える有力な根拠になっている。しかしながら、「探偵」に強い関心を示す漱石は、スパイがつねにスパイされているのではないかと警戒するように、つねに「探偵」されているのではないかと警戒し、些細な出来事にも即座に過剰なまでの反応を示したのではないだろうか。
漱石の観察力、文章表現力は、やはり抜群に秀でたものがある。こうした力は、もともともっている能力に加えて、俳句をつくることによって、繰り返し訓練され、高められていったと言えるのではないだろうか。対象物をよく観察し、それをそのまま、あるいは思考を込めて、短い文章に表現していく。画家が写生によって鍛えられるように、漱石は「言葉による写生」によって鍛えられていったと言える。漱石は「写生文」について、長所も短所もあり、その中に篭城して得意になり、他を軽蔑するのは誤りであると記している。そのような点をきちんとわきまえながら、漱石自身にとって、もっとも書きやすい、もっとも居心地の良い文章が「写生文」だったのだろう。
漱石は時として、自分で自分を観察した。「猫」も漱石であれば、苦沙弥先生もまた漱石であった。漱石の代理である「猫」は、自分自身である苦沙弥先生をじっくり観察し、嘲り笑っている。こうした一種の「セルフカウンセリング」が、漱石の精神状態改善に好影響を与えたかもしれない。妻に対する思いも案外素直に表現されている。