歩くにしても、人力車に乗るにしても、所詮、人間の足です。東京の街に住んでいると言っても、人びとの行動範囲は限られていました。その行動範囲を一気に広げてくれたのが路面電車です。これらの作品が書かれた頃、漱石山房から最寄の電車停留所は新小川町(大曲)終点で、道のりは2km以上ありました。それでも、漱石自身、気分転換に、見聞を広めに、あるいはまた所用で、路面電車をおおいに利用したのでしょう。とにかく路面電車にきわめて詳しく、細かなことまで作品に描き込んでいます。
『三四郎』(1908年)・『それから』(1909年)・『門』(1910年)と続く三部作で、漱石は主人公たちを電車に乗せることで、鬱々とした日常生活から解放し、ささやかな楽しみと気分転換の機会を与えています。
いよいよ大学の講義が始まり、三四郎は律義に講義を聞いていました。そのうち出るのをやめたものもありましたが、それでも平均一週40時間程度、講義に出席していました。三四郎は断えず一種の圧迫を感じ、然るに物足りない。三四郎は楽しまなくなっていきました。ある日、それを佐々木与次郎に話します。