寂光院のモデルを探すヒントは、《この界隈で寂光院のばけ銀杏と云えば誰も知らぬ者はない》という「化銀杏」。そこで、白山を中心に、その周りも含めて「化銀杏」を調べてみましたが、情報はなかなか得られない。やっと私は岡本綺堂の『半七捕物帳』に、《それは森川宿で名高い松円寺の化け銀杏であった。銀杏は寺の土塀から殆ど往来いっぱいに高く突き出して、昼でもその下には暗い蔭を作っているのであった》という一文をみつけたのです。
森川宿というのは、明治以降は森川町で、東大正門向かい一帯。しかし、森川宿に寺院は存在しない。周辺を探しても松円寺という寺は見当たりません。唯一似た名前が大円寺です。
大円寺は東片町にあり、中山道(国道17号線)を本郷追分から五百メートルほど進むと右手に入口があります。寺へ続く小道をしばらく行くと、正面に本堂があり、その手前で左折し、本堂を右手にみながら進むと墓地がある。墓地の中を行くと、そのまま隣りの一音寺に接する。《隣り寺を境に一段高くなった》という雰囲気がよく表れています。
「化銀杏」のないのが気がかりですが、寺のたたずまいはよく似ています。当時の漱石の住まいから数百メートルの生活圏にある。「化銀杏」は枯れたか、大震災で焼けてしまったのだろう。今、知る人もいないから、なくなってかなり経過していると考えられます。
漱石が大円寺をモデルとしたならば、八百屋お七の話が念頭にあったのではないでしょうか。1682年、大円寺から出火した火事で家を焼け出され、近くの円乗寺に避難したお七(1668年生れ)は、そこで小姓の山田佐兵衛と出会い、恋に落ちます。家へ戻ったお七は、火事になればまた佐兵衛に会えると思い、自宅に放火。火事はぼや程度でしたが、つけ火は死罪。お七は役人の説得も拒否し、十六歳であることを隠さず、1683年、火刑に処されたのです。
『趣味の遺伝』のテーマは恋愛です。お七の熱愛、そして悲恋。浩一の恋人を立たせるには、お七ゆかりの大円寺は恰好の場所ではないでしょうか。大円寺には樋口一葉を終生助けた斉藤緑雨の墓があり、お七ゆかりの「焙烙地蔵」もあります。
なお、寂光院は、本法寺とする説もあります。この界隈、小日向台下には水道通りに沿って、還国寺・清光寺・善仁寺・本法寺・称名寺などが並び、確かに寺と寺が境界を接しています。しかしながら、本法寺の墓地は、本堂の裏手に、小日向台へ駆け上るようにつくられています。かなり古い墓も見られるので、漱石存命中と、大幅な変更はないでしょう。『趣味の遺伝』に描かれた墓地の光景とは、違うように思われます。
浄土真宗高源山本法寺は夏目家の菩提寺で、『坊ちゃん』では最後の部分に、