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20.「どこ?」の楽しみ①
「聖地巡礼」と言うと、宗教上の重要な場所を巡る旅を指しますが、映画などの舞台となったところを訪れることに用いる場合があります。戦後間もない頃の話しですが、『君の名は』が大ヒットして数寄屋橋を訪れた方もいるでしょう。そう言えば、平成の『君の名は』でも、「聖地巡礼」が流行しました。漱石の作品には東京を舞台にしたものが多いので、東京大好きの私には、漱石の作品の舞台を訪れる「聖地巡礼」は、じつに楽しいことです。ところが、当然のことながら、小説は虚構のお話しですから、どこが舞台になっているのか、よくわからないこともあって、それがどこなのか推理してみることも、楽しい作業です。
ここでは、『趣味の遺伝』に出てくる寂光院、『三四郎』に出てくる教会、『琴のそら音』に出てくる切支丹坂が、どこなのか、推理してみたいと思います。
寂光院はどこ?
新橋の停車場に用あって出かけた余は、日露戦争の凱旋兵士を迎える人の群れに遭遇し、その群れに加わります。将軍、士官の後に兵士が続く。その兵士の中に余の親友河上浩一に似た者がいます。余はこの軍曹の代りに、浩一が帰って来てくれればと思うが、まもなくこの軍曹に取りすがる婆さんを目にするのです。息子の無事帰還を喜ぶ姿を。しかし、浩一にも母がいる。息子の帰還は無理でも、せめて恋人だけでも探し出して、会わせてやりたい。『趣味の遺伝』は、余の「恋人探し」、何やら推理小説、あるいは探偵小説のようです。
余の親友河上浩一は日露戦争で戦死し、白山の御寺に墓があります。寺の名前が「寂光院」。余はそこでひとりの美しい女性を見かけるのです。
最も美くしきその一人が寂光院の墓場の中に立った。浮かない、古臭い、沈静な四顧の景物の中に立った。するとその愛らしき眼、そのはなやかな袖が忽然と本来の面目を変じて蕭条たる周囲に流れ込んで、境内寂寞の感を一層深からしめた。天下に墓程落付いたものはない。然しこの女が墓の前に延び上がった時は墓よりも落ちついていた。(略)上野の音楽会でなければ釣り合わぬ服装をして、帝国ホテルの夜会にでも招待されそうなこの女が、なぜかくの如く四辺の光景と映帯して索寞の観を添えるのか。これも諷語だからだ。マクベスの門番が怖しければ寂光院のこの女も淋しくなくてはならん。
余は、この女性こそ浩一の恋人であると確信するのです。
漱石にこのように書かれると、私も寂光院へ行って、この美しき女性に会ってみたくなります。もちろん架空の人物ですから会えるわけもないのですが、やはり気になります。
京都の寂光院なら行くことができるのですが、東京では…。白山の御寺というから、地図で白山周辺のお寺をくまなく探してみましたが、寂光院などというお寺は、どこにも見当たりません。近い名前もないのです。
大円寺であろう
『漱石の東京』の著者、東京に生きる漱石の研究においては、まさに第一人者の武田勝彦は、寂光院の情景は東片町の大円寺であろうと推定しています。私は私で独自に考察し、大円寺という結論に達しました。
寂光院の情景はつぎのように描かれています。
寂光院と大師流に古い紺青で彫りつけた額を眺めて門を這入ると、精舎は格別なもので門内は蕭条として一塵の痕も留めぬ程掃除が行き届いている。(略)松を左右に見て半町程行くとつき当たりが本堂で、その右に庫裏がある。(略)本堂を右手に左へ廻ると墓場である。墓場の入口には化銀杏がある。(略)隣り寺を境に一段高くなった土手の上に三坪程な平地があって石段を二つ踏んで行き当りの真中にあるのが、御爺さんも御父さんも浩さんも同居して眠っている河上家代々之墓である。
寂光院のモデルを探すヒントは、《この界隈で寂光院のばけ銀杏と云えば誰も知らぬ者はない》という「化銀杏」。そこで、白山を中心に、その周りも含めて「化銀杏」を調べてみましたが、情報はなかなか得られない。やっと私は岡本綺堂の『半七捕物帳』に、《それは森川宿で名高い松円寺の化け銀杏であった。銀杏は寺の土塀から殆ど往来いっぱいに高く突き出して、昼でもその下には暗い蔭を作っているのであった》という一文をみつけたのです。
森川宿というのは、明治以降は森川町で、東大正門向かい一帯。しかし、森川宿に寺院は存在しない。周辺を探しても松円寺という寺は見当たりません。唯一似た名前が大円寺です。
大円寺は東片町にあり、中山道(国道17号線)を本郷追分から五百メートルほど進むと右手に入口があります。寺へ続く小道をしばらく行くと、正面に本堂があり、その手前で左折し、本堂を右手にみながら進むと墓地がある。墓地の中を行くと、そのまま隣りの一音寺に接する。《隣り寺を境に一段高くなった》という雰囲気がよく表れています。
「化銀杏」のないのが気がかりですが、寺のたたずまいはよく似ています。当時の漱石の住まいから数百メートルの生活圏にある。「化銀杏」は枯れたか、大震災で焼けてしまったのだろう。今、知る人もいないから、なくなってかなり経過していると考えられます。
漱石が大円寺をモデルとしたならば、八百屋お七の話が念頭にあったのではないでしょうか。1682年、大円寺から出火した火事で家を焼け出され、近くの円乗寺に避難したお七(1668年生れ)は、そこで小姓の山田佐兵衛と出会い、恋に落ちます。家へ戻ったお七は、火事になればまた佐兵衛に会えると思い、自宅に放火。火事はぼや程度でしたが、つけ火は死罪。お七は役人の説得も拒否し、十六歳であることを隠さず、1683年、火刑に処されたのです。
『趣味の遺伝』のテーマは恋愛です。お七の熱愛、そして悲恋。浩一の恋人を立たせるには、お七ゆかりの大円寺は恰好の場所ではないでしょうか。大円寺には樋口一葉を終生助けた斉藤緑雨の墓があり、お七ゆかりの「焙烙地蔵」もあります。
なお、寂光院は、本法寺とする説もあります。この界隈、小日向台下には水道通りに沿って、還国寺・清光寺・善仁寺・本法寺・称名寺などが並び、確かに寺と寺が境界を接しています。しかしながら、本法寺の墓地は、本堂の裏手に、小日向台へ駆け上るようにつくられています。かなり古い墓も見られるので、漱石存命中と、大幅な変更はないでしょう。『趣味の遺伝』に描かれた墓地の光景とは、違うように思われます。
浄土真宗高源山本法寺は夏目家の菩提寺で、『坊ちゃん』では最後の部分に、
死ぬ前日おれを呼んで坊ちゃん後生だから清が死んだら、坊ちゃんの御寺へ埋めて下さい。御墓のなかで坊ちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。だから清の墓は小日向の養源寺にある。
養源寺の名称は、漱石の親友米山保三郎の葬儀がおこなわれた千駄木林町の養源寺を拝借したと考えられます。名前こそ出てきませんが、『彼岸過迄』に登場する小日向の寺は本法寺を意識したものと言って間違いないでしょう。