漱石は1891年、再びトラホームに罹り、毎日の様に井上病院に通った。ここで「銀杏返しにたけながをかけた」少女と出会ったという。ところがどういうわけか、漱石の作品に井上病院のことは書き込まれていない。
新御茶ノ水駅B1出入り口を上がる。ニコライ堂にむかって歩き始めると、右手にすぐ井上眼科病院がある。「漱石時代」の井上病院は、ニコライ堂の前を通り、お茶の水仲通りに出る右側角にあった(住所:駿河台東紅梅町11番地、現在の神田駿河台四丁目3番)。漱石が通っていた頃の井上病院は、1890年に建てられた煉瓦造4階建ての真新しい建物で、おりしもニコライ堂(日本ハリストス正教会復活大聖堂)が1891年に完成している。ニコライ堂は『それから』に登場するが、震災後、変更しながら修復したものの、当時も現状にかなり近い外観をもって建っており、ランドマーク的存在だった。
東京大学眼科学教室の創始者で、1881年に井上病院を創設した井上達也について、談話筆記『処女作追懐談』につぎのような一節がある。