1914年晩秋、漱石は『私の個人主義』と題して、学習院輔仁会で生徒に講演した。学習院は1908年に現在地へ移転しているから、漱石の講演も目白の校舎でおこなわれたことになる。漱石は自分が学習院への就職に失敗したエピソードも交えながら、学生達をしだいに漱石の世界へ引き入れていく。講演は大きくは第一編と第二編に分かれ、第一編では他人本位から自己本位(自我本位)への転換が語られているが、ここでは後半の第二編に注目してみよう。
漱石はまず、学習院の生徒にむかって、学習院は社会的地位の好い人が這入る学校だから、
①貧民が世の中に立った時よりも余計権力が使える。権力とは自分の個性を他人の頭の上に無理矢理に押し付ける道具(あるいは道具に使いうる利器)となる。
②金力も貧民より余計に所有している。これは自己の個性を拡張するために、他人の上に誘惑の道具として使用し得る至極重宝なもの。
しかし、我々は他が自己の幸福のために、己れの個性を勝手に発展するのを、相当の理由なくして妨害してはいけない。ところが貴方がたは、貧乏人より権力・金力を余計にもっているのだから、まさしく妨害し得る地位に将来立つ人が多い、としたうえで、つぎの三点を心して欲しいと述べている。
①自己の個性の発展を仕遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならないという事。
②自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに附随している義務というものを心得なければならないという事。
③自己の金力を示そうと願うなら、それに伴う責任を重じなければならないという事。
そして、この三者を自由に享け楽しむためには、その三つのものの背後にあるべき人格の支配を受ける必要が起って来る。この三つのものは、貴方がたが将来において最も接近し易いものであるから、どうしても人格のある立派な人間になっておかなければいけない。
つまり漱石は、権力と金力をもつ人が人格を備えていなければ、社会的に極めて危険だと訴えている。そして、こうした人格を備えたうえでの個性の発展、自由の享有が、漱石の言う「個人主義」である。したがって、個人主義は国家に危険をおよぼすものではない。
最後に漱石は、国家主義にまで一歩踏み込んで論じている。要約すればおよそつぎのようになる。
国家が危うくなれば誰だって国家の安否を考えるのだから、戦争や侵略の憂いがなければ国家的観念が少なくなり、個人主義が這入ってくるのは理の当然。今(講演当時)はまだ、国家存亡の危機ではなく、国家国家と騒ぎ立てる必要はない。人格の修養を積んだ人は、危急存亡の場合、個人の自由を束縛し個人の活動を切り詰めても国家のために尽くすのは天然自然。だから、個人主義と国家主義はいつも矛盾し、撲殺しあうものではない。そして漱石は自分自身、国家主義でもあり、世界主義でもあり、同時に個人主義でもある、と述べている。結びにあたって漱石は、こうつけ加える。
「道徳教育が必要だ」と言った時、それはどちらかというと、国家的道徳の必要性を説くことが多い。「近頃の若い者は、どうも道徳がなっていない」という場合、個人的道徳をさす場合が多い。これがごちゃ混ぜにされて、「道徳教育」の賛否が議論されるが、漱石ははっきりと、国家的道徳というものは個人的道徳に比べると、ずっと段の低いもののように見えると述べている。つまり、一人一人が高い道徳性を身につけていくこと、人格的にも高まっていくことはおおいに努めなければならないが、国家的道徳などというものはことさら騒ぎ立てて身につけさせなければならないものではない。国家的道徳がなければ国が守れないというが、国家的道徳のあるなしに関わらず、国家存亡の危機に際した時には、国民は立ち上がるものだ。漱石は個人的道徳の見地から許せない行為に関しては、生徒をも叱り飛ばしたが、国家的道徳の強要に対しては断固抵抗する態度を示した。
漱石が求めたのは「個」としての確立であり、時として「市民」とよばれる「一人の人間」の確立である。そして個人的道徳は市民的道徳と置き換えることもできる。国家の枠組みをはずし、「個」の集まりとしての人類全体、つまり「地球市民」としてとらえるならば、それは世界主義とよぶことができる。一人一人が高い道徳性(市民的道徳)を身につければ、高い道徳性を身につけた地球市民ができあがる。そうなれば、戦争など起きてこない。国家国家と騒ぎ立てる必要もなくなってくる。国家的道徳の方は徳義心などないのだから、それを優先する限り、いつまで経っても戦争はなくならない。
今から百年程前、第一次世界大戦と後によばれるヨーロッパの戦争が火蓋を切った年に、学習院でおこなわれた漱石の講演は、今も色あせていないように、私には思われる。