東京株式取引所(現、東京証券取引所)は1878年に設立され、1890年代には市場規模拡大にともなって、立会場も新しくなっている。この頃には、株式取引所のある日本橋兜町一帯には、株式店が軒を並べるようになっていた。
漱石の作品では、『吾輩は猫である』からすでに株の話が登場する。苦沙弥先生のところへ鈴木藤十郎が来る。「君電気鉄道へ乗ったか」と先生。これに対して鈴木は「なんぼ田舎者だって――これでも街鉄を六十株持ってるよ」「ああ云う株は持ってて損はないよ、年々高くなるばかりだから」などと答えている。続いてやって来た多々良三平。苦沙弥先生に「教師をやめて実業家にでもならないか」と勧める。そして、細君に訊かれて貯金は50円になると言い、「奥さん小遣銭で外濠線の株を少し買わないか、今から三四個月すると倍になる」と勧めている。
設定時期としてはほぼ同じ頃の『道草』にも株が出てくる。健三が金を借りに行った友達は、三年間中国の学堂で教鞭を取っていた頃に蓄えた金をすべて使って、電鉄などの株を購入している。また、細君の父は健三に二三千円の金をもっていないと、いざという時に困ると言い、「なに千円位出来ればそれで結構です。それを私に預けて御置きなさると、一年位経つうちには、じき倍にして上げますから」と話している。細君の父は株にも手を出していたのだろう。健三には千円というまとまった金はもちろんなかったが、松岡陽子によると、漱石自身は中村是公や犬塚(小宮豊隆の叔父)などの勧めで株をもっていた。岩波茂雄が書店を設立する時、株券3000円ほどを用立てたという。
『野分』では中野の結婚披露宴で、参会者の中に株の話題をしている三人の男がいる。野添が人造肥料会社を起すので500株くらいもってくれと言われた。二週間ぐらいで、50円株が65円に上った。これならもう少し買っておけばよかった。頭の禿げたのがそんなことを言っている。高柳は恐る恐る彼等の傍らを通り抜ける。