『吾輩は猫である』の吾輩はもちろん東京生まれの猫である。苦沙弥先生は明確ではないが、漱石がモデルであるから東京生まれであろう。『野分』の中野輝一、『虞美人草』の甲野欽吾・藤尾、宗近一・糸子、『三四郎』の里見美禰子、『それから』の代助をはじめとする長井家の人々、『彼岸過迄』の須永市蔵やその叔父の田口・松本一家、『行人』の長野一家や三沢、『こころ』の静(先生の妻)やその母、『道草』の健三なども東京生まれで、引き続き東京に住んでいる。『明暗』の由雄・お延ともに、親は京都に住んでいるが、本人たちは東京で叔父一家に育てられてきた。
『二百十日』の圭さんと碌さんは阿蘇登山に来ているが、二人とも東京に生まれ、東京に生活している。
『坊ちゃん』は四国辺の中学教師になったが、しばらくして東京に戻った。『野分』の白井道也は八年程、地方で教師をやってから東京に舞い戻る。『虞美人草』の井上孤堂・小夜子父子も、京都生活に見切りをつけ、故郷東京に戻ってくる。小野清三については明確でないが、孤堂が小野のことを「京都へ来てから大変丈夫になった。来たては随分蒼い顔をしてね、」と言っているところから、小野もまた東京から京都の大学へ来て、井上の世話になったと考えられる。『坑夫』の自分は東京を飛び出して坑夫になったが、再び東京に戻った。『門』の宗助も西へ西へと、とうとう福岡まで行ってしまったが、東京に戻ることができた。
東京出身者で東京を出たきり、少なくとも作品中で東京へ戻らなかったのは、『草枕』の余だけである。余が入った床屋の主人、宿泊している志保田の隠居も東京出身で、今は那古井に住んでいる。
作品を読んでも、どこの出身か判然としないのが、『吾輩は猫である』に登場する迷亭、寒月を始めとする苦沙弥の友人や門下生などである。地方出身者も含まれていると思われる。『趣味の遺伝』の余も東京出身と思われるが明確ではない。『門』の御米については安井が嘘をついているのでよくわからない。地方出身者の安井は御米にお国訛りがないのは、横浜に長く住んでいたからだと説明している。