人間というのは困った生き物で、「自分」というものをもっている。そして、「自分」は「このようにありたい」という自己実現に対する欲求をもち、「自分」というものが永久に続いて欲しいと願っています。
けれども、ほとんどの場合、「このようにありたい」という欲求と現実の間に大きな違いがあるし、生き物は「生きること」を求め続けて、つねに「死にむかって」突き進んでいるのですから、いくら生きたいと願っても、「自分」がいずれなくなってしまうことは100%確実です。しかも人間はそのことを知っているのです。そのため、人間は理想と現実の矛盾にイライラし、生と死の矛盾に不安を抱え生きていかなければなりません。
生きているもの、とくに動物は、生命の危機を「痛み」、「かゆみ」、「空腹感」など、身体的苦痛として感じとるでしょうが、人間はそれに加えて、脳が高度に発達し、「自分」というものをもつことによって、脳の働きから生じるさまざまな苦痛、つまり精神的苦痛を生涯もち続けなければなりません。「このようにありたい」という水準が高ければ高いほど、矛盾も大きく、イライラ感も大きくなります。「生きること」に対する欲求が強ければ強いほど、「死」に対する不安感も大きくなるし、キケンに対して過敏になると、すべてのことが心配になってきます。
私たち人間は、程度の差こそあれ、イライラ感や不安感を抱えて生きており、心配は尽きません。そして、身体的苦痛を軽減するために、医薬や社会制度が生み出されたとしたら、精神的苦痛を軽減するために、趣味・娯楽や精神医学、宗教が生み出されていったと言えるのではないでしょうか。
――不安、悩み、苦しみ、イライラ。この世はほんとうに厭な世の中だ。そこから逃れて平静を得たいけれど、鴨長明の『方丈記』を読んでも答えは得られず、根本の原因は「心」と思ってみても、「心」はどこにあるかわからない。何があっても平気でいたいと思うけれど、ちょっとしたことにも慌てふためいて、これじゃ、禅宗のお坊さんに笑われてしまう。真宗の「御文様」に書いてあるように、結局、死ねば、この世の煩わしいことから解放されるだろうけれど、死ぬわけにもいかず、いったいどうしたらいいんだろう!
漱石23歳。何か、漱石の叫びが聞こえてきそうな手紙ですが、帝国大学を出て、大学院にまで進み、イギリスにも留学し、帝国大学の先生になり、やがて小説家として有名になり、人生における成功者のひとりとして、生涯を終え、そればかりか、死後も「文豪」とよばれ、100年以上経っても作品が読まれている。そんな恵まれた人間である漱石が若い頃から、不安を抱き、悩み、苦しみ、イライラしながら人生を送り、そこから何とか逃れたい、平静な心を得たいと、求め続けてきたなんて、「そんなぜいたく言うな」と言いてやりたい気持ちにもなります。
けれども、漱石の悩みや不安感は、どうも一般水準よりひどかったようです。
漱石の弟子の一人で、ある面、きわめて客観的に漱石を分析している小宮豊隆は、『夏目漱石』という本でつぎのように書いています。
最期には、「阿弥陀さま、救ってくださって、ありがとうございます」と感謝の言葉を口にして終るのです。
この『吾輩は猫である』の最期の部分に、親鸞の教え、浄土真宗の教え、「他力本願」の真髄がみごとに表現されているように、私は思うのです。1905年、漱石38歳。漱石は、けっして「真宗嫌い」などではなく、真宗を深く学び、作家デビューする以前すでに、かなり精通していたのではないか。私はそう思わざるを得ません。
水川は、先に紹介した1890年8月9日付の子規宛手紙を引用して、《漱石は「浮世」をいとい、無常の運命によって自分の命が尽き、空寂の境地に到達できることを「楽しみ」にしている》と評しています。
この世はまさに「憂世」。「厭な世の中(厭世)」である。私たちの人生なんて、所詮、大きな甕のようなもので、そこへ落ちた吾輩がいくらもがいても、甕から上がれないのと同じように、生きているうちに平静を得ることなど、望んでもできないことである。この世を去って、初めてすべての煩わしさから解放され、平静を得ることができる。平静を得たいと思えば、死ぬしかなく、『吾輩は猫である』の最期に、《吾輩は死ぬ。死んでこの太平を得る。太平は死ななければ得られぬ》とあるように、漱石は死んで太平を得ることを楽しみにしているのです。
しかしながら、漱石は手紙にあるように、自ら生命を断つことを望んではいません。この考え方はその後も継続されており、24年後の1914年11月14日に、岡田(のちに林原)耕三に宛てた手紙においても、
二十歳から、二十五歳、三十歳と示すことによって、段階的に進化している様子がわかります。それは、真宗を学びながら、漱石が平静を得る方法を段階的につかみ取っていった過程を示しているのかもしれません。
まず、「憂世」「厭世」が肯定的に捉えられ、続いて、この世の「明」と「暗」、「生」と「死」、「楽」と「苦」が表裏一体のものとして捉えられています。二つの相反するものの一方だけを取り除こうとしても、紙から裏面だけ切り離そうとしてもムリであるように、甕をガリガリひっかくように、人生から「暗」だけ、「死」だけ、「苦」だけ取り除こうともがいても、所詮、切り離すことができないものだから、ムリなものはムリで、ムリを通そうとするから、苦悩は増すばかり。ともに「あるがまま」に受け入れていくことが、平静を得る道なのだ、と。
そして、第三段階において、「生」と「死」、「苦」と「楽」。表裏一体の一方が強ければ、反対のものも強くなければならない。「プラス」が強くなればなるほど、「マイナス」もまた強くなっていかなければならない。光りが明るければ明るいほど、その影は暗く深くなっていく。つまり、大きな喜びの陰には、大きな悲しみが潜んでいる。逆に言えば、大きな悲しみの時に、大きな喜びが付き添っていてくれるのです。「悲しみが大きい」と悲嘆にくれなくても、よく見ると、普段より増して「喜び」が輝きを放っているのです。このようにして私たちは、「悲しみ」もまた「あるがまま」に受け入れていけるようになるのです。この発見は、人生において平静を得る真髄のように私には思われます。
漱石は、良い成果を得ようとすればするほど、その反対に神経衰弱が昂じて破滅の道にむかって行きました。つまり、「生の欲望が強くなればなるほど、不安もまた強くなってくる」ということです。そして漱石は、「死へのあこがれが強くなればなるほど、生への欲望もまた強くなった」のであろうと思います。こうした捉え方は、後に「森田理論」などでもみられます。
このように、「プラス」と「マイナス」が背中合わせに同居している状態を漱石は「諷語」と呼んでいます。「諷語」という言葉は、『吾輩は猫である』のすぐ後に発表した『趣味の遺伝』で登場しています。つまり、『草枕』を発表する前に、つかみとっていたのです。
この世を「憂世」「厭世」と捉えていた漱石が、『草枕』に至って、積極的、前向きに捉えるようになっていることがわかります。この世は、不安ばかりの「憂世」で、「厭な世の中」であるけれど、生きている限り、「生きること」と「苦しみ」を切り離していくことはできないのであり、それを「あるがまま」に受け入れて生きていく。何があっても驚かない。ある面、人生に対する開き直りとも取れます。
《前足も、後足も、頭も尾も自然の力に任せて抵抗しない事にした》吾輩の姿は、何も死んで太平を得る姿ではなく、生きているうちにすべてを阿弥陀様に任せて、人生を「暗」も「苦」も「死」も「あるがまま」に受け入れて生きていく姿を示しているのかもしれません。「あるがまま」という言葉は、「森田理論」でもよく使われますが、この「あるがまま」という言葉を、「則天去私」(天に則って私を去る)という言葉で表したのが漱石です。
『草枕』という作品や、「則天去私」という言葉は、漱石の「禅宗好み」から来ていると捉えられることが多いように思われますが、私には真宗の真髄をつかみとる中で生み出された作品であり、言葉であるように思われるのです。
漱石は、1916年11月発行の新潮社の日記帳『文章日記』大正六年版に、文章を書く上での座右の銘として、「則天去私」と揮毫しています。もちろん、漱石は1917年、大正6年を迎えることなく、太平の世界へ行ってしまいました。
漱石より一足早く、漱石が『吾輩は猫である』を書く前に、太平の世界に行ってしまった子規は、死の三カ月ほど前の1902年6月2日、結核の病床で『病牀六尺』に、
結局、周りからもたらされるさまざまな心労に翻弄されて、「自分」は何をするためにこの世に生れてきたのか、見つけることすらできずに一生を終わってしまう。人生の途中で、どうでも良いようなことに引っ掛って、時間を費やしてしまう。まさに人生は「道草」、つまり「途中で他のことをして手間どること」の連続である。そして、道草したことが「自分の責任ではない」と言っても、結局は逃れることができない、自分の人生には、自分自身が責任をもたなければならないのだと。――このことが、漱石のもっとも言いたかったこと。『道草』のテーマであり、また『道草』と言う題名をつけた意図もここにあると、私は思います。
漱石自身も自分の人生を振り返ってみて、どうでもいいようなことに心を砕いて、いったい自分は何をしてきたのだろうか、何のために生まれて来たのだろう。「道草」ばかりしてきたとの思いを強くしていたのでしょう。49年の生涯で、途方もなく大きなことを成し遂げたと思われる漱石が、自分の人生を「道草」と評価するならば、私など自分の人生を何と評価したら良いのでしょうか。
けれども、漱石の真宗に対する理解の方向性、流れからみると、連続する「いのち」の旅のひとコマとしての「人生」そのものが「道草」であり、煩いを切り離した人生などあり得ない。「人生即道草」、「道草即人生」。人生とはそんなもの。煩いの連続する人生を肯定し、受け入れていこうとする漱石の姿勢が、『道草』という言葉に込められているように、私には思われます。そして、それは自分の人生に何の価値も見出すことができないような私自身にとって、救いになります。